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Sabbath Bible Lessons

ヨハネによる福音からの教訓(パート1)

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第3課 息日2025年1月18日

カナの婚礼

暗唱聖句:「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい。」(ヨハネによる福音書2:5(下句))

「イエスは人類と全く思いを一つにすることによって改革の働きをお始めになった。」(各時代の希望上巻175)

推奨文献:   各時代の希望上巻165-179; 
  青年への使命405-420 

日曜日 1月12日

1. キリストのお働きの開始

a. イエスはこの地上でご自分の働きをどこで始められましたか(ヨハネによる福音書 2:1, 2)。

「イエスは、エルサレムのサンヒドリンの前で何か偉大な働きをすることによってその公生涯をお始めにならなかった。ガリラヤの小さな村のある家族的な集りで、結婚の宴によろこびをまし加えることにイエスの力がそそがれた。こうしてイエスは人々と思いを一つにし、人々の幸福に役立ちたいという願いを示された。イエスは、試みの荒野で、ご自分から苦悩のさかずきをお飲みになった。そして、人々に祝福のさかずきを与え、ご自分の祝福によって人間生活のきずなを聖なるものにするために出ておいでになった。」(各時代の希望上巻165)

b. 婚礼が終わるよほど前に何が起こりましたか(ヨハネによる福音書 2:3)。

「〔マリヤ〕は、イエスにご自分が真に神のとうといみ子であることを一座の人々に証明していただきたいと心に願った。彼女はイエスが彼らの前で奇跡を行われる機会があればよいと望んだ。

結婚の祝宴は数日間つづけられるのが当時の習慣であった。この時、祝宴がまだ終らないうちにぶどう酒のたくわえが切れてしまったことがわかった。それがわかると大変な困惑と失望とが生じた。祝宴をぶどう酒なしですませるということは例のないことで、ぶどう酒がないことは接待の行きとどかない証拠に思われるのだった。」(各時代の希望上巻167)


月曜日 1月13日

2. キリストとその母親

a. キリストの母親は何と言いましたか、またこのお方は何とお答えになりましたか(ヨハネによる福音書 2:3, 4)。

「[ヨハネ2:4引用]この答は、われわれにはぶっきらぼうに思えるが、冷淡さや無礼な気持をあらわしているのではない。救い主が母親に語りかけられた形式は、東洋の習慣に従ったものであった。それは尊敬心を示したいと望む相手の人に対して用いられた。キリストの地上生活における行為の一つ一つは、彼ご自身がお与えになったところの、「あなたの父と母を敬え」という戒めに一致していた(出エジプト記20:12)。十字架上において、母親に対する最後のやさしい行為として、最も愛する弟子に母親の世話を託された時、イエスはふたたび同じように母親に語りかけられた。婚宴の時でも十字架上でも、声と顔つきと態度にあらわれている愛がイエスのことばの意味を伝えた。」(各時代の希望上巻168)

b. キリストの母親は僕たちに何と言いましたか、そしてその言葉は今日のわたしたちにもどのように当てはまりますか(ヨハネによる福音書 2:5)。

「キリストに従う者たちは信仰と兄弟たちへの愛の完成に近づくにつれて真理を宣べ伝える力をますます強める。神はわたしたちの人間的資源では対応できないあらゆる緊急事態に対して神の援助を与えて下さった。このお方は聖霊をお与えになってあらゆる窮地において助けて下さり、わたしたちの希望と確信を強めわたしたちの心を照らし、また心を清めて下さる。このお方はご自分の計画を実行なさるために十分な助けが提供されていることを仰せになっている。わたしはあなたに神に助言を求めることをお勧めする。心を込めてこの方を求めなさい。そして『この方があなたがたに言いつけることは何でもしてください』。」(教会への証6巻414, 415)

c. イエスは婚礼で僕に何をするように言われましたか(ヨハネによる福音書 2:6–8)。

「戸口のそばに六つの大きな石の水がめがあった。イエスは召使いたちにその水がめに水を満たすように言いつけられた。水はいっぱいになった。次にイエスは、ぶどう酒がいますぐ入り用だというので、『さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい』と言われた(ヨハネ2:8)。水のいっぱい満たされた水がめからは、水ではなくてぶどう酒が流れ出た。」(各時代の希望上巻171)


火曜日 1月14日

3. キリストのぶどう酒

a. ぶどう酒が出された時、料理がしらはどのように反応しましたか(ヨハネによる福音書 2:9, 10)。

「料理がしらも一般の客もぶどう酒がきれたことには気がついていなかった。召使いたちが持ってきたぶどう酒をなめてみて、料理がしらはそれがいままで飲んだこともないほどすばらしいぶどう酒で婚宴の初めに出されたぶどう酒とちがったものであることに気がついた。」(各時代の希望上巻171)

b. キリストが提供なさったぶどう酒はどのような種類のものでしたか(イザヤ書 65:8)。

「キリストが祝宴にお備えになったぶどう酒、またご自分の血の象徴として弟子たちにお与えになったぶどう酒は、純粋のぶどう汁であった。預言者イザヤが、新しいぶどう酒について、『人がぶどうのふさの中に、ぶどうのしるのあるのを見るならば、それを破るな、その中に祝福があるから』と言う」と言っているのは、このことである(イザヤ書65:8)。…

主が結婚式の客のために用意された発酵しないぶどう汁は衛生的な清涼飲料水であった。その効果は味覚を健康な食欲に調和させるのであった。」(各時代の希望上巻173, 174)

c. 発酵したぶどう酒について聖書は何と言っていますか(箴言 20:1; 23:29–35)。

「旧約聖書の中で、『酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である』と、イスラエルに警告されたのはキリストであった(箴言20:1)。だからキリストはご自分からこんな飲み物を与えるようなことはなさらなかった。サタンは理性をくもらせ、霊的知覚を麻痺(まひ)させるような放縦に人を誘惑するが、キリストは下等な性情を征服するように教えておられる。キリストの一生は克己の模範であった。食欲の力をたちきるために、彼は人間が耐えることのできる最もきびしい試練を、われわれのために受けられた。バプテスマのヨハネに、ぶどう酒や濃い酒を飲まないように指示されたのはキリストであった。同じようにマノアの妻に禁酒を命じられたのもキリストであった。キリストは隣人の口に酒びんをおしつける者の上にわざわいを宣告された。キリストはご自分の教えに矛盾したことをなさらなかった。」(同上173, 174)


水曜日 1月15日

4. 社交的な集まりにおけるキリストの模範

a. 婚礼の祝宴におけるキリストのご臨在と奇跡によって現代のわたしたちにとっても、どのような目的が達成されましたか(ヨハネによる福音書 2:11)。

「キリストはすべての事をご存じであった。このお方は時代をわたしたちの時にまで遡って世界歴史の終わりの社会がどうなるかをご覧になっていた。このお方は何千人もの人々が酒や強い飲み物の使用によって滅びるのをご覧になった。世は徐々に洪水前の状態と同じ状態になっていくのであった。しかし天は危険信号を掲げて、それにより人々が警告を受け入れて自分自身を守るために神と協力できるようにしたのであった。このお方はわたしたちに絶対的な自制の模範を与えて下さり、指示をお与えになった。それに従うならば、わたしたちの子供たちの活力、技能、卓越性を創造し、維持することになるのであった。」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1896年4月16日)

b. キリストがお働きを通して模範として示してくださった活気づける態度の種類を述べなさい(マタイによる福音書 11:29)。

「イエスは人類と全く思いを一つにすることによって改革の働きをお始めになった。彼は神の律法に最高の尊敬を示される一方では、パリサイ人のうわべばかりの敬虔さを責め、人々をしばりつけている無意味な規則から彼らを解放しようとされた。イエスは、人々を一家族の子供として一つにするために、社会の異なった階級をへだてている壁を打破しようとしておられた。イエスが婚宴の席に出られたことは、こうしたことを達成するための一歩 としてくわだてられたのであった。」(各時代の希望上巻175)

「イエスは、あらゆる種類の放縦を責められたが、しかしその性質は社交的であられた。彼はあらゆる階級の人人のもてなしに応じて、金持の家でも貧乏人の家でも、学者の家でも無知な者の家でも訪問し、彼らの思いを日常一般の問題から霊的な永遠の問題へ高めようとされた。彼は酒色をみとめられず、その行為は世俗的な軽薄の影によってくもらされることがなかった。しかし主は無邪気なたのしみの光景によろこびを感じ、自ら出席なさることによって親睦(しんぼく)の集りを是認された。ユダヤ人の結婚式は印象的な光景で、そのよろこびは人の子イエスにとって不快なものではなかった。この婚宴の席につらなることによって、イエスは結婚を天来の制度としてとうとばれた。」(同上175, 176)


木曜日 1月16日

5. 健全な社会的交流

a. 当時の宗教指導者たちとは対照的にキリストを区別したこのお方の模範から、わたしたちは何を学ぶべきでしょうか(箴言 18:24)。

「キリストの伝道はユダヤ人の長老たちの伝道とくらべていちじるしい相違があった。彼らは言い伝えと形式を尊重するあまり、思想や行動の真の自由をまったく殺してしまっていた。彼らはたえずけがれを恐れて生活した。「汚れた者」との接触をさけるために、彼らは異邦人ばかりでなく、自国民の大多数の者から遠ざかり、彼らに益を与えようとも、彼らの友情を得ようともしなかった。たえずこうした問題に気をとられていたので、彼らの心は小さくなり、生活の軌道は狭くなっていた。彼らの手本によって、民衆のあらゆる階級に独善主義と偏狭心が助長された。」(各時代の希望上巻174, 175)

b. すべての社会交流においてわたしたちは何を目的とすべきでしょうか(箴言 11:30)。

「わたしたちは友情深いことばと愉快な顔つきによって、小さな数々のことに注意を払っていることを人に見せることができる。そしてそれはわたしたち自身にまた返ってくるのである。思慮のないクリスチャンは、他人を無視して自分がキリストと一致していないことをあらわす。キリストと一致していて、しかも他人に対して不親切であり、他人の権利を顧慮しないということは有り得ない。

「わたしたちはみなイエスの証人となるべきである。社交的な能力は、キリストの恵みにきよめられて、魂を救い主にみちびくのに活用されなければならない。わたしたちは自分自身の利害問題に利己的に没頭しているのではなく、わたしたちの祝福と特権とを他人にわけ与えようと願っているのだということを、世の人々に見せよう。わたしたちの宗教はわたしたちを非情にしたり、かこくにしたりしないということを世の人々にわからせよう。キリストをみいだしたと言っている者はみな、キリストが人々を益するために働かれたように奉仕しよう。わたしたちは、クリスチャンは暗い不幸な人たちだというまちがった印象を世の人々に与えるべきではない。」(アドベンチスト・ホーム487, 488)


金曜日 1月17日

個人的な復習問題

1. カナにおけるキリストの奇跡によって結んだ霊的な実について述べなさい。

2. キリストとその母親との間の関係を述べなさい。

3. なぜ料理がしらは驚きを表しましたか。

4. キリストの血を象徴するのにふさわしい種類のぶどう酒は何ですか。

5. 社交的な集まりにおいて、イエスの模範からわたしたちは何を思い出すべきでしょうか。

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