日曜日
4月13日
1. イエスの家庭生活
a. イエスはご自身の家庭において、どのような深刻な課題がありましたか(ヨハネによる福音書 7:5)。
「ごく幼い時から、イエスはご自分から品性を築き始められ、両親への尊敬と愛もイエスを神のみことばに従うことから離れさせることができなかった。家庭の習慣とちがった行為をなさるたびに、その理由は『聖書にこう書いてある』ということであった。しかしラビたちの圧力はイエスの一生を苦しいものにした。少年時代においてさえ彼は沈黙としんぼうづよい忍耐について教訓を学ばれねばならなかった。
ヨセフの息子たちはイエスの兄弟と呼ばれていたが、彼らはラビたちの味方であった。彼らは、言い伝えがあたかも神の規則でもあるかのように、これに注意すべきであると言い張った。彼らはまた人の教えを神のみことばよりもとうといものにみなすことさえし、イエスが虚偽と真実との区別をはっきりと見とおされるのにいらだった。彼らは、イエスが神の律法に厳格に従われるのを頑固(がんこ)だと言って非難した。彼らはイエスがラビたちに答えておられるときに示された知識と知恵に驚いた。彼らはイエスが博士たちから教育を受けられたことがないことを知っていた。それなのに、かえってイエスが博士たちを教えておられるのに気づかないわけにゆかなかった。彼らはイエスの教育が彼ら自身の教育よりも程度の高い型のものであることをみとめた。しかし彼らはイエスがいのちの木、すなわち彼らの知らない知識のみなもとに近づいておられることを認識しなかった。」(各時代の希望上巻82–84)
月曜日
4月14日
2. ヨセフの息子たち
a. 年ごとの仮庵の祭が近づいている時に、キリストの兄弟たちはキリストに、どのような提案をしましたか(ヨハネによる福音書 7:3, 4)。
「イエスの兄弟たちは、イエスが国のえらい、学問のある人たちから遠ざかっておられることはまちがいだと思った。彼らは、この人たちが正しいにちがいない、そしてイエスがそうした人たちと敵対的な立場にあることはまちがいだと思った。しかし彼らは、イエスの欠点のない生活を目に見、弟子たちの仲間ではなかったが、そのみわざに深く感動していた。イエスがガリラヤで人気のあることが、彼らの野心を満足させていた。彼らは、イエスが自ら主張される通りのおかたであることをパリサイ人たちにわからせるような権力の証拠を示されるようにとまだ望んでいた。イエスがイスラエルの君、メシヤだとしたらどうだろう。彼らは誇らしい満足をもってこの考えをいだいていた。
彼らは、このことについて非常に熱心だったので、キリストにエルサレムに行かれるようにとしきりにすすめた。彼らは、『あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい』と言った(ヨハネ7:3~4)。この終りのことばには疑いと不信が表わされていた。彼らは、イエスが臆病で弱気であるとみていた。もしイエスが、自分はメシヤであるということを知っておられるのだったら、こんなに妙に引込んでばかりいて活動されないのはなぜだろう。もしほんとうにそんな権力を持っておられるのだったら、なぜ大胆にエルサレムへ行って、ご自分の資格を主張されないのだろう。ガリラヤでうわさになっているようなふしぎなわざをエルサレムで行ったらどうだろう。片いなかにかくれて、無知な百姓や漁師のためにあなたの偉大なわざを行っていないで、首都に姿を現わして、祭司たちと役人たちの支持を受け、国民を結合して新しい王国を建てなさいと彼らは言った。」(各時代の希望中巻228, 229)
b. 柔和な者はいつも直面する問題を述べなさい(詩篇 86:14)。
「イエスの兄弟たちは、見せびらかしの野心を持っている人たちの心にしばしばみられる利己的な動機から推論した。この精神は世の人々の支配的な精神であった。彼らは、キリストが、この世の王座を求めないで、ご自分が生命のパンであると宣言されたので、腹を立てた。イエスの多くの弟子たちがイエスを捨てたとき、彼らは非常に失望した。彼ら自身もまた、イエスのみわざにあらわされていること、すなわちイエスが神からつかわされたおかたであるということを認める重荷からのがれるために、イエスから離れた。」(同上229, 230)
火曜日
4月15日
3. イエスをめぐる争闘
a. イエスについて、どのような相反する意見が生じましたか(ヨハネによる福音書 7:11, 12)。
「キリストの奇跡のうわさは、エルサレムから、ユダヤ人の離散しているところへはどこへでもひろがっていた。イエスは、何か月ものあいだ祭に出られなかったが、それでもイエスに対する関心はうすれていなかった。世界の各地から、多くの人々が、イエスを見たいという希望をもって、仮庵の祭にやってきた。祭の初めに、多くの者がイエスのことをたずねた。パリサイ人たちと役人たちは、イエスを罪に定める機会をみつけたいと望んで
イエスがこられるのを待った。彼らは心配しながら、『彼はどこにいるか』とたずねたが、だれも知らなかった。
すべての人の心は、イエスについての思いで占められていた。祭司たちと役人たちを恐れたために、だれもあえてイエスをメシヤとして承認しようとはしなかったが、いたるところで、イエスについて、静かで熱心な議論が聞かれた。多くの者は、イエスを神からつかわされたおかたとして弁護したが、一方他の者たちは民衆をあざむく者としてイエスを攻撃した。」(各時代の希望中巻231)
b. イエスはご自身に関する相反する意見を、どのように沈黙させましたか(ヨハネによる福音書 7:14–18; ルカによる福音書 4:32)。
「祭のなかばに、イエスについての興奮が最高潮に達したとき、イエスは群衆の目の前で、宮の庭にはいられた。イエスが祭に出られなかったので、イエスは祭司たちと役人たちの権力を恐れているのだと言われていた。人々はみなイエスが姿を現わされたのに驚いた。だれもが声をひそめた。自分の生命をねらっている強力な敵のまっただなかにおけるイエスの態度の威厳と勇気とを見て、みんなは感嘆した。
この大群衆の注目のまととなって、イエスはだれもかつてしたことがないような演説をされた。彼のことばには、イスラエルの律法と制度、またいけにえの儀式や預言者の教えについて、祭司たちやラビたちよりもはるかにすぐれた知識が示された。彼は形式主義と言い伝えの壁を打ち破られた。来世の光景がイエスの前にくりひろげられたようにみえた。目に見えない神を見たおかたとして、イエスは地上のこと天上のこと、人間のこと、神のことについて、絶対の権威をもって語られた。イエスのみことばは非常にはっきりしていて、人々の心をなっとくさせた。人々は、カペナウムで驚いたように、ふたたびイエスの教えに驚いた。なぜなら『その言葉に権威があった』からである(ルカ4:32)。……みんなは 律法と預言についてのイエスの知識に驚いた。」(同上232)
水曜日
4月16日
4. 聖者に対する憎しみ
a. イエスはラビたちのうちに何を読み取られましたか。また彼らにどのような質問をなさいましたか(ヨハネによる福音書 7:19)。
「イエスは、ラビたちの心を読まれたことを示すことによって、ご自分の神性の証拠を彼らに示された。ベテスダでのいやしののち、彼らはずっと、イエスの死をたくらんできた。こうして彼らは、律法を擁護していると口では言いながら、その律法を自ら破っていた。『モーセはあなたがたに律法を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか』とイエスは言われた。」(各時代の希望中巻239)
b. キリストへの答えの中で、ラビたちは何についてこのお方を告発しましたか。また今度はキリストがどのように彼らにお答えになりましたか(ヨハネによる福音書 7:20–23)。
「〔悪霊によってこのお方の驚くべきわざが扇動されたのだという〕このほのめかしに、キリストは注意を払われなかった。イエスはつづいて、ベテスダでのいやしの働きが安息日の律法と一致 していること、またユダヤ人自身の律法の解釈によって正当なものであることを示された。『モーセはあなたがたに割礼を命じたので、・・・・・・あなたがたは安息日にも人に割礼を施している』と、イエスは言われた(ヨハネ7:22)。律法によれば、どの子も八日目に割礼を受けさせねばならない。もしその定められた日が安息日にあたっても、この儀式を行わねばならない。ましてや『安息日に人の全身を丈夫にしてや』ることは律法の精神に一致していなければならない(ヨハネ7:23)。」(同上239, 240)
c. キリストの次の警告の広い意味を説明しなさい(ヨハネによる福音書 7:24)。
「役人たちは沈黙させられた。すると多くの人々は、『この人は人々が殺そうと思っている者ではないか。見よ、彼は公然と語っているのに、人々はこれに対して何も言わない。役人たちは、この人がキリストであることを、ほんとうに知っているのではなかろうか』と叫んだ。」(同上240)
「〔キリスト〕は外見をご覧にならない。このお方は人が判断するようには判断なさらない。人の価値をその階級やタラント、教育、あるいは地位によってはからない。『わたしが顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である』と宣言なさる。」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1897年10月21日)
木曜日
4月17日
5. 人間の裁き 対 神の裁き
a. この世界における社会の精神的な状態―しばしば昔に見られ、今日は特に見られる状態―を、聖書はどのように描写しますか(イザヤ書 59:14, 15)。
「悪の代理人たちは自分たちの力を結合し、強固になっている。彼らは終わりの大危機のために強化している。大きな変化がまもなくわたしたちの世界に起きようとしている。そして最後の動きは急速なものとなるであろう。…
敵は正義をゆがめ、人の心を利己的な利益への願望で満たすことに成功してきた。…あらゆる種類の圧迫と搾取によって人が莫大な富を築き上げている一方で、飢えた人類の叫びが神のみ前に上っている。」(教会への証9巻11, 12)
b. 混乱のただ中でわたしたちは、どのように神の方法に信頼できますか(イザヤ書 55:8, 9)。
「人間の有限な心は、無限の神のご計画を十分に悟ったり、そのみ心の働きを完全に理解したりはできないけれども、しかし神の メッセージをほんのわずかしか理解できないのは、彼らの側の誤りや怠慢のゆえであるという場合も、よくあるのである。一般の人々、そして神のしもべたちでさえ、人間の意見、人間の伝説や偽りの教えに目がくらんで、神がみ言葉の中に啓示された大事実のほんの一部しか把握できない場合がよくある。」(各時代の大争闘下巻37)
「人の子らに対する神の理想は、人間の最高の思想が及ぶよりも高い。神はご自分の聖なる律法の中に、ご自分のご品性の写しをお与えになった。」 (教会への証8巻63)
金曜日
4月18日
個人的な復習問題
1. イエスが成長された家庭環境を述べなさい。
2. キリストの兄弟たちによって示された特質が今日、どのように繰り返されていますか。
3. イエスについて、どの相反する意見が出回りましたか。
4. ラビたちがイエスに対して表した精神を説明しなさい。
5. 人の方法と神の方法の間にある大幅な対比を述べなさい。