日曜日
5月4日
1. 創造を思い起こす
a. 創造の第一日目に、神は何を創造されましたか(創世記 1:3–5)。
「世の初めの創造のみことばによって、光が暗やみに照りいでた。」(各時代の希望中巻251)
b. 世の創造にどなたがご臨在されましたか―ただの見学者としてではなく、能動的な参加者として(創世記 1:1, 2; ヨハネによる福音書 1:1, 2; コロサイ人への手紙 1:16)。
「この世の初めに、神はすべての創造のみわざのうちにご自分をあらわされた。天をのべ、地の基をおかれたのは キリストであった。……地を美しさでみたし、空中を歌でみたされたのはキリストであった。地と空中と空のすべてのものの上に、キリストは天父の愛のことばをお書きになった。」(各時代の希望上巻2)
「すべての世界を空間にささえ、宇宙の万物を整然たる秩序と倦むことのない活動の中に保つみ手は、われわれのために十字架に釘づけされたみ手である。」(教育144)
月曜日
5月5日
2. 荒野における光
a. 荒野においてイスラエルの子らはどのように導かれましたか(出エジプト記 13:21, 22)。雲の柱と火の柱に包まれたご臨在について説明しなさい(出エジプト記 13:21(上句); コリント人への第一の手紙 10:1–4)。
「神が民にご自身をあらわされるときには、いつも光が神のご臨在の象徴であった。世の初めの創造のみことばによって、光が暗やみに照りいでた。光は、昼は雲の柱に宿り、夜は火の柱となってイスラエルの大軍をみちびいた。」(各時代の希望中巻251)
b. 荒野おいてイスラエルと共におられたキリストのご臨在について、なんと記されていますか。また神はご自分の民に、どの保護を約束されましたか(詩篇 105:39; イザヤ書 4:5, 6)。
「イザヤの最も美しく、慰めに満ちた預言の言葉のなかで、この雲と火の柱は、悪の勢力との最後の大争闘において、神が、神の民を守られることの象徴として用いられている。」(人類のあけぼの上巻325)
c. キリストはシナイで、どのようにご自身を表されましたか。そしてモーセと民はどのように反応しましたか(出エジプト記 19:16–18; 20:18, 19; へブル人への手紙 12:21)。
「集まった群衆に、『主の栄光は山の頂で、燃える火のように』見えた。……エホバのご臨在のしるしは恐るべきものであったので、イスラエルの群衆は恐ろしさにふるえ、主の前にひれ伏した。」(人類のあけぼの上巻354)
「〔キリストの〕ご臨在のあらわれがあまりにも栄光に満ちていたため、死すべき人間は耐えることができなかった。モーセは、神に大いに恩寵を受けていたが、『わたしは恐ろしさのあまり、おののいている』と叫んだ(へブル12:21)。しかし、神はこの卓越した栄光に耐えられるように、またその栄光の反射を彼の顔の上に受けて山からたずさえていけるように彼を強められたので、民はそれをしっかりと見ることができなかった。」(神の息子むすめたち225)
火曜日
5月6日
3. 神の住まいにおける光
a. キリストは幕屋でどのようにご自分のご臨在を表されましたか(出エジプト記 40:34, 35)。
「大ぜいのイスラエルの民は聖なる建物を見ようとして、非常な興味をもって群がってきた。彼らが、敬虔な満ち足りた気持ちでこれに見入ってるときに、雲の柱が幕屋の上にたなびき、その上にくだり、これを包んだ。そして「主の栄光が幕屋に満ちた」(出エジプト記 40:34)。ここに神の威光があらわされ、しばらくの間、モーセも中にはいることができなかった。民は、彼らの手のわざが受け入れられたしるしを感慨深く見つめていた。人々は、歓喜の声を上げたりはしなかった。厳粛な畏怖がすべての者を包んでいた。だが、心の喜びは涙となってあふれ、神が降りてこられて、自分たちと共にお住みになることの感謝が、低くはあったが熱のこもったささやきとなったのである。」(人類のあけぼの上巻411, 412)
「贖罪所の上方には、神の臨在のあらわれであるシェキーナーがあった。神は、ケルビムの間からみこころをお知らせになった。神のお告げは時として、雲からの声によって大祭司に伝えられた。また、時として、承認もしくは受容をあらわすために光が右側の天使を照らし、不賛成もしくは拒否をあらわすために、影もしくは雲が左側の天使をおおうこともあった。」(同上410, 411)
b. 後に幕屋が献堂されたときに、何が起こりましたか(歴代志下 7:1)。
「山でモーセに示され、後に主によってダビデに提示された型に従って、最も壮麗な聖所が造られた。地上の聖所は天の聖所に似せて作られた。契約の箱の上にいるケルビムに加えて、ソロモンは、契約の箱の両端に立って、神の律法をつねに守っている天使たちをあらわすさらに大きなもう二人の天使を作った。この幕屋の美しさと壮麗さを描写することは不可能である。そこで、幕屋の中にあったように、厳粛で敬神的な秩序のうちに神聖な箱が担われ、床の上に立っていた二人の堂々たるケルビムの翼の下に置かれた。
聖なる合唱が神への賛美のうちに、あらゆる種類の楽器にその声を合わせた。そして声が音楽の楽器に調和して宮中に響き渡る一方、エルサレム中の空間に運ばれ、神の栄光の雲は、かつて幕屋を満たしたときのように家を取り囲んだ。『そして祭司たちが聖所から出たとき、雲が主の宮に満ちたので、祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである』(列王記上8:10, 11)。」(霊的賜物4a巻113, 114)
水曜日
5月7日
4. 福音における光
a. ヨハネによる福音書 8:12 にあるキリストのどのメッセージが、わたしたちに大きな希望をもたらしますか。
「この真理を理解し、その宣布に従事したのは、博学な神学者たちではなかった。もしも彼らが、祈りつつ勤勉に聖書を研究する 忠実な夜回りであったならば、夜の時刻を知ったことであろう。預言は、まさに起ころうとしていたできごとを、彼らに示したことであろう。しかし彼らはそうでなかったために、使命は、彼らより劣る人人によって伝えられた。…神から与えられた光に背をむけ、手近にある光を求めない者は、暗黒のなかに残される。」(各時代の大争闘上巻401)
「主はわたしたちが富んだ、豊かな、喜ばしい経験を持つことができるように、あらゆる備えをしてこられた。ヨハネはキリストに関して記して次のように言っている、『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった』(ヨハネ1:4)。命は光を伴っている。そしてもしわたしたちが義の太陽からの光を持っていなければ、このお方のうちに命を持つことはできないのである。しかし、この光はすべての魂のために備えられているのであり、闇がわたしたちに臨むのは、わたしたちが光から身を引くときだけである。〔ヨハネ8:12引用〕。わたしたちのまわりにある世界は、光がなければ命を持つことができない。太陽がその輝きを引っ込めたら、すべての植物、すべての動物の命は終わりを告げる。これは、わたしたちが自らを義の太陽の光線の下に身をおかなければ霊的な命を得ることはできないという事実を描写している。もしわたしたちが花の咲いている植物を暗い部屋においたら、それはまもなくしぼんで枯れてしまう。同様に、わたしたちは幾分かの霊的な命を持っているかもしれないが、疑いと暗やみの雰囲気の中に住むなら、それを失うのである。」(神の息子むすめたち281)
b. わたしたちがイエスに向くとき、どの保証がもたらされますか(コリント人への第二の手紙 3:18)。
「花が太陽に向きを変えるときに、太陽の光線が花の美しさや均整を完全なものとするのを助けるように、キリストに従う人々は義の太陽に向きを変えるなら、天の光が彼らの上に輝くことができ、彼らの品性を完全にし、彼らに神の事がらにおいて深い永続的な光を与える。もしわたしたちが自分の人間の努力を神の恵みに結びつけさえすれば、キリストを通してわたしたちの手の届くところに与えられる祝福は想像力を超えている。」(同上26)
「ひたすら神のみこころを行なおうと願い、すでに与えられた光を熱心に心に留める者はだれでも、もっと大きな光を受ける。そのような魂には、天の光に輝く星が送られて、すべての真理に彼を導くのである。」(各時代の大争闘上巻401)
木曜日
5月8日
5. 反射される光
a. パウロが世の光に関して霊感を受けて言及したことから、わたしたちはどのように高められますか(コリント人への第二の手紙 4:6)。
「あなたの心が、栄光に輝く神のことについての思いで満たされるようにしなさい。あなたの生活を、イエスの生涯にしっかりと結びつけなさい。やみの中から光が照りいでよと仰せになった神は、イエス・キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、あなたの心を照らしてくださる。聖霊は、神に関することを明らかに示し、従順な者に生きた力を与えるのである。キリストは、あなたを無限の神の門口に導いてくださるのである。あなたは、幕のかなたの栄光を見ることができる。そして、いつも生きていて、わたしたちのためにとりなしておられるお方の十分な力を人びとにあらわすことができるのである。」(キリストの実物教訓129)
「人間の姿の中にキリストご自身の栄光があらわれることは、天と人間との間を非常に近いものにするのであって、キリストの宿られるすべての魂の中に神の宮の栄光が見られるようになる。そして、内住のキリストの栄光に、人びとは捕えられるのである。こうして、神に導かれた多くの魂の賛美と感謝とは、潮のごとくに、偉大な与え主なる神に栄えを帰すのである。
『起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから』(イザヤ書60:1)。この使命は、花婿を迎えに出る人びとに与えられている。キリストは、力と大いなる栄光をもって来られる。彼は、ご自分の栄光と父の栄光とをもって来られる。彼は、すべての聖天使をひきいて来られる。全世界が暗黒に閉ざされている時に、聖徒たちの住居にはどこにも光がある。彼らは、キリストが再びおいでになる最初の光をとらえるのである。主は、輝く栄光に包まれておられる。そしてあがない主なるキリストは、お仕えするすべての者の賛美をお受けになる。悪者は、み前からのがれ去るけれども、キリストに従った者は、喜びにあふれる。」(同上396)
金曜日
5月9日
個人的な復習問題
1. 聖書は、創造の働きにおける神格について、どのように教えていますか。
2. 荒野で、イエスがどのようにご自分を表されたのかを述べなさい。
3. キリストの光は、どのように幕屋と宮の中で輝きましたか。
4. イエスは献堂式のときに、どのようにご自身を表されましたか。
5. キリストはわたしたちに、またわたしたちを通して、どのようにご自身を明らかにされますか。