a. ヨハネによる福音書 8:12 にあるキリストのどのメッセージが、わたしたちに大きな希望をもたらしますか。「この真理を理解し、その宣布に従事したのは、博学な神学者たちではなかった。もしも彼らが、祈りつつ勤勉に聖書を研究する 忠実な夜回りであったならば、夜の時刻を知ったことであろう。預言は、まさに起ころうとしていたできごとを、彼らに示したことであろう。しかし彼らはそうでなかったために、使命は、彼らより劣る人人によって伝えられた。…神から与えられた光に背をむけ、手近にある光を求めない者は、暗黒のなかに残される。」(各時代の大争闘上巻401)「主はわたしたちが富んだ、豊かな、喜ばしい経験を持つことができるように、あらゆる備えをしてこられた。ヨハネはキリストに関して記して次のように言っている、『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった』(ヨハネ1:4)。命は光を伴っている。そしてもしわたしたちが義の太陽からの光を持っていなければ、このお方のうちに命を持つことはできないのである。しかし、この光はすべての魂のために備えられているのであり、闇がわたしたちに臨むのは、わたしたちが光から身を引くときだけである。〔ヨハネ8:12引用〕。わたしたちのまわりにある世界は、光がなければ命を持つことができない。太陽がその輝きを引っ込めたら、すべての植物、すべての動物の命は終わりを告げる。これは、わたしたちが自らを義の太陽の光線の下に身をおかなければ霊的な命を得ることはできないという事実を描写している。もしわたしたちが花の咲いている植物を暗い部屋においたら、それはまもなくしぼんで枯れてしまう。同様に、わたしたちは幾分かの霊的な命を持っているかもしれないが、疑いと暗やみの雰囲気の中に住むなら、それを失うのである。」(神の息子むすめたち281)b. わたしたちがイエスに向くとき、どの保証がもたらされますか(コリント人への第二の手紙 3:18)。「花が太陽に向きを変えるときに、太陽の光線が花の美しさや均整を完全なものとするのを助けるように、キリストに従う人々は義の太陽に向きを変えるなら、天の光が彼らの上に輝くことができ、彼らの品性を完全にし、彼らに神の事がらにおいて深い永続的な光を与える。もしわたしたちが自分の人間の努力を神の恵みに結びつけさえすれば、キリストを通してわたしたちの手の届くところに与えられる祝福は想像力を超えている。」(同上26)「ひたすら神のみこころを行なおうと願い、すでに与えられた光を熱心に心に留める者はだれでも、もっと大きな光を受ける。そのような魂には、天の光に輝く星が送られて、すべての真理に彼を導くのである。」(各時代の大争闘上巻401)
5. 反射される光 木曜日 5月8日
a. パウロが世の光に関して霊感を受けて言及したことから、わたしたちはどのように高められますか(コリント人への第二の手紙 4:6)。「あなたの心が、栄光に輝く神のことについての思いで満たされるようにしなさい。あなたの生活を、イエスの生涯にしっかりと結びつけなさい。やみの中から光が照りいでよと仰せになった神は、イエス・キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、あなたの心を照らしてくださる。聖霊は、神に関することを明らかに示し、従順な者に生きた力を与えるのである。キリストは、あなたを無限の神の門口に導いてくださるのである。あなたは、幕のかなたの栄光を見ることができる。そして、いつも生きていて、わたしたちのためにとりなしておられるお方の十分な力を人びとにあらわすことができるのである。」(キリストの実物教訓129)「人間の姿の中にキリストご自身の栄光があらわれることは、天と人間との間を非常に近いものにするのであって、キリストの宿られるすべての魂の中に神の宮の栄光が見られるようになる。そして、内住のキリストの栄光に、人びとは捕えられるのである。こうして、神に導かれた多くの魂の賛美と感謝とは、潮のごとくに、偉大な与え主なる神に栄えを帰すのである。『起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから』(イザヤ書60:1)。この使命は、花婿を迎えに出る人びとに与えられている。キリストは、力と大いなる栄光をもって来られる。彼は、ご自分の栄光と父の栄光とをもって来られる。彼は、すべての聖天使をひきいて来られる。全世界が暗黒に閉ざされている時に、聖徒たちの住居にはどこにも光がある。彼らは、キリストが再びおいでになる最初の光をとらえるのである。主は、輝く栄光に包まれておられる。そしてあがない主なるキリストは、お仕えするすべての者の賛美をお受けになる。悪者は、み前からのがれ去るけれども、キリストに従った者は、喜びにあふれる。」(同上396)