a. サマリヤで二日をお過ごしになった後、イエスはどこへ行かれましたか、そしてこの知らせに惹かれたのはだれでしたか(ヨハネによる福音書 4:43–46)。「キリストがカナへ帰られたという知らせは、ガリラヤじゅうにひろがり、困り苦しんでいる人たちに望みを与えた。カペナウムで、王に仕えている役人である、あるユダヤ人貴族がその知らせに注意をひかれた。」(各時代の希望上巻236)b. なぜこの役人はイエスに会いに行きましたか(ヨハネによる福音書 4:47)。「この役人の息子が不治と思われる病気にかかっていた。医者たちはその子が死ぬものとあきらめていた。だが父親はイエスのことを耳にしたとき、イエスの助けを求めようと決心した。」(各時代の希望上巻236)
2. 疑いの表れ 月曜日 3月3日
a. カペナウムで自分の息子を癒してくださるようにとキリストを求めた役人の心の内なる苦悩をキリストがどのように明らかにされたかを述べなさい(ヨハネによる福音書 4:48)。「子供は非常に衰弱していて、父親が帰って来るまでいのちはもつまいと心配されたが、父親は病状をイエスに訴えねばならないと思った。彼は父親の祈りが大医者イエスの同情をひきおこすようにと望んだ。カナに着いてみると、群衆がイエスをとりまいていた。心配な気持で、彼は人々をおしわけて救い主の前へ進んだ。しかしそこに、粗末な衣服をまとい、旅のほこりにまみれて疲れた様子の人だけしか見なかったとき、彼の信仰は動揺した。果してこのおかたが自分がお願いしようと思ってやってきたことをなさることができるだろうかと彼は疑った。しかしイエスと面会することができると、彼は自分の用事を話し、救い主に自分の家までいっしょにおいでいただきたいと願った。ところが彼の悲しみはすでにイエスに知られていた。この役人が家を出る前から、救い主は彼の苦悩を見ておられたのだった。しかしイエスは、この父親がイエスに対する信仰について、自分自身の心の中に条件をもっていることもご存じだった。自分の願いがかなえられなければ、彼はイエスをメシヤとして信じないであろう。…イエスがキリストであるというあらゆる証拠があるにもかかわらず、この嘆願者は、自分の願いがきかれるということを条件にして、イエスを信じようと決心していた。」(各時代の希望上巻236-238)b. しるしを求めるように誘惑される時、わたしたちは何を思い出すべきですか(マタイによる福音書 12:38, 39)。「キリストは、神のみことばを託されているご自分の民が、み子を通して彼らに語られる神の声をきかないことを悲しまれた。」(各時代の希望上巻238)「キリストの時代のように、人々はしるしを求める。そのとき、主は彼らにいかなるしるしも与えられないであろうと仰せになった。今もいつも、明らかにされるべきしるしとは、聖霊が教師の心に働きかけ、み言葉を可能な限り印象的なものにすることである。神のみ言葉は死んだ、無味乾燥な理論ではなく、霊と命である。サタンは思いをみ言葉から遠ざけること、またみ言葉の外にある何か他のものを探し求めて期待することほど彼が望んでいることはない。」(セレクテッド・メッセージ2巻95)