日曜日
3月2日
1. 注意をひく
a. サマリヤで二日をお過ごしになった後、イエスはどこへ行かれましたか、そしてこの知らせに惹かれたのはだれでしたか(ヨハネによる福音書 4:43–46)。
「キリストがカナへ帰られたという知らせは、ガリラヤじゅうにひろがり、困り苦しんでいる人たちに望みを与えた。カペナウムで、王に仕えている役人である、あるユダヤ人貴族がその知らせに注意をひかれた。」(各時代の希望上巻236)
b. なぜこの役人はイエスに会いに行きましたか(ヨハネによる福音書 4:47)。
「この役人の息子が不治と思われる病気にかかっていた。医者たちはその子が死ぬものとあきらめていた。だが父親はイエスのことを耳にしたとき、イエスの助けを求めようと決心した。」(各時代の希望上巻236)
月曜日
3月3日
2. 疑いの表れ
a. カペナウムで自分の息子を癒してくださるようにとキリストを求めた役人の心の内なる苦悩をキリストがどのように明らかにされたかを述べなさい(ヨハネによる福音書 4:48)。
「子供は非常に衰弱していて、父親が帰って来るまでいのちはもつまいと心配されたが、父親は病状をイエスに訴えねばならないと思った。彼は父親の祈りが大医者イエスの同情をひきおこすようにと望んだ。
カナに着いてみると、群衆がイエスをとりまいていた。心配な気持で、彼は人々をおしわけて救い主の前へ進んだ。しかしそこに、粗末な衣服をまとい、旅のほこりにまみれて疲れた様子の人だけしか見なかったとき、彼の信仰は動揺した。果してこのおかたが自分がお願いしようと思ってやってきたことをなさることができるだろうかと彼は疑った。しかしイエスと面会することができると、彼は自分の用事を話し、救い主に自分の家までいっしょにおいでいただきたいと願った。ところが彼の悲しみはすでにイエスに知られていた。この役人が家を出る前から、救い主は彼の苦悩を見ておられたのだった。
しかしイエスは、この父親がイエスに対する信仰について、自分自身の心の中に条件をもっていることもご存じだった。自分の願いがかなえられなければ、彼はイエスをメシヤとして信じないであろう。…
イエスがキリストであるというあらゆる証拠があるにもかかわらず、この嘆願者は、自分の願いがきかれるということを条件にして、イエスを信じようと決心していた。」(各時代の希望上巻236-238)
b. しるしを求めるように誘惑される時、わたしたちは何を思い出すべきですか(マタイによる福音書 12:38, 39)。
「キリストは、神のみことばを託されているご自分の民が、み子を通して彼らに語られる神の声をきかないことを悲しまれた。」(各時代の希望上巻238)
「キリストの時代のように、人々はしるしを求める。そのとき、主は彼らにいかなるしるしも与えられないであろうと仰せになった。今もいつも、明らかにされるべきしるしとは、聖霊が教師の心に働きかけ、み言葉を可能な限り印象的なものにすることである。神のみ言葉は死んだ、無味乾燥な理論ではなく、霊と命である。サタンは思いをみ言葉から遠ざけること、またみ言葉の外にある何か他のものを探し求めて期待することほど彼が望んでいることはない。」(セレクテッド・メッセージ2巻95)
火曜日
3月4日
3. 対照的な態度
a. イエスへの信仰に関するユダヤ人とサマリヤ人の違いを説明しなさい(マルコによる福音書 6:2–6; ヨハネによる福音書 4:40–42)。
「パリサイ人たちはどれほど熱心にキリストが詐欺師であると証明しようとしたことであろう。どれほど彼らはこのお方のみ言葉の一つ一つに注目し、このお方のみ言葉を誤って伝え、誤解させようとしていたことであろう。誇りと偏見また情欲が、神の御子の証に対して魂のあらゆる道を閉ざしてしまった。このお方が彼らの不義をはっきりと譴責し、彼らの行いがサタンの子であることを証明したと宣言なさったとき、彼らは憤ってその非難をはねつけて『あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか』と言った。」(セレクテッド・メッセージ1巻70)
「救い主はこの疑いの念のまじった不信を、奇跡やしるしを求めなかったサマリヤ人の単純な信仰と比較された。イエスの神性についての証拠をたえず示しているそのみことばには、サマリヤ人の心を動かし、確信させる力があった。」(各時代の希望上巻238)
「キリストはユダヤ人ではあったが、 サマリヤ人と自由に交わり、 こ の軽蔑された 民族について、 ユダヤ人が持っていたパリサイ 的慣習を無視された。 キリストは彼らの屋根の下に眠り、彼らの食卓で食べ、 彼らの町の通りで教えられた。」(患難から栄光へ上巻11)
b. 時代を超えて神の民であると公言する民に現代の真理を語ってきた多くの人々の経験を述べなさい(エレミヤ書 20:8–11)。
「キリストに対して主張されたすべての議論は偽りに基づいていた。ステパノ、またパウロの場合も同様であった。しかし間違った側でなされた最も弱く最も信用できない発言が影響力を持ったのは、その発言が真実であることを望む、心が聖化されていない人々が非常に多かったからである。このような人々は受け入れがたい真理を語る者たちの間違いや誤りと思われるものにしきりに執着しようとするのである。
虚偽を欲する人々によって邪悪な憶測が疑う余地のない事実として貪欲につかみ取られるとしても、わたしたちは驚くべきではない。キリストに反対する者たちは、このお方の知恵の言葉によって何度も何度も当惑させられ沈黙させられた。それでも彼らはあらゆる噂に熱心に耳を傾け、このお方に反対する質問を再び問いかける口実を見つけた。」(セレクテッド・メッセージ1巻70, 71)
水曜日
3月5日
4. 謙遜のうちに嘆願する
a. この役人の信仰がキリストを捉えた時、彼は自分の嘆願をどのように繰り返しましたか(ヨハネによる福音書 4:49)。
「この役人に対する救い主のみことばは、光のひらめきのように、彼の心を明るみに出した。彼はイエスを求めている自分の動機が利己的であることがわかった。彼は動揺している自分の信仰の本当の姿を見た。彼は自分の疑いのために息子のいのちが失われるかもしれないことをみとめて深い心配を感じた。彼は自分がいま、人の思いを読むことがおできになり、どんなことでもおできになるおかたの前にいることを知った。…彼は、ヤコブが天使と格闘して、『わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません』と叫んだ時のように、信仰をもってキリストにすがりついた(創世記32:26)」(各時代の希望上巻238, 239)
b. イエスが役人の家に行く代わりにしたことからわたしたちは何を学ぶことができますか(ヨハネによる福音書 4:50)。
「イエスはもっと大きな賜物を与えようとしておられた。イエスは子供の病気をなおすばかりでなく、この役人とその家族を救いの祝福にあずからせ、まもなくイエスご自身の働きの場所となろうとしていたカペナウムに光をともそうと望まれた。しかしこの役人は、キリストの恵みを望む前に自分の必要をみとめなければならない。この宮廷の役人はユダヤ国民の多くの者を代表していた。彼らは利己的な動機からイエスに関心を持っていた。彼らはイエスの力によって何か特別な利益を受けようと望み、その信仰はこの世の恩恵を受けることにかけられていた。しかし彼らは自分たちの霊的な病気について無知であり、神の恵みの必要に気がつかなかった。…
救い主は、大きな必要を訴えながらすがりつく魂をしりぞけることがおできにならない。イエスは、『お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ』と言われた(ヨハネ4:50)。役人はこれまでかつて経験したことのない平安とよろこびをもって救い主の前から立ち去った。彼は息子の病気がなおることを信じたばかりでなく、強い確信をもってキリストを贖い主として信頼した。」(同上238, 239)
「だれでも自分の祈りが即座に、また直接にこたえられることを望み、そのこたえが遅れたり、期待に反した形であたえられると失望するが、神は賢明、かつ最善なお方で、わたしたちが望むときに、望むように、いつでもこたえるということはなさらないのである。しかしわたしたちの希望が全部かなえられるよりももっとよい方法をとっていてくださるのである。…信仰をためすこうした体験は我々を益となるのである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング208, 209)
木曜日
3月6日
5. 癒しと救い
a. 役人の息子をイエスはどのような方法で癒されましたか(ヨハネによる福音書 4:51–53)。これはどのような現実を思い起こさせますか(エペソ人への手紙 3:20, 21)。
「『あなたのむすこは助かるのだ』との保証を、父親が信仰をもって把握した瞬間に、神の愛が死にかけていた子供にふれたのだった。」(各時代の希望上巻240)
「同じ時刻に、カペナウムの家では、死にかけている子供を見守っていた者たちが、急にふしぎな変化を目に見た。死の影が病人の顔から消えた。発熱は、回復しつつある健康のおだやかな顔色にかわった。くもっていた目は理性に輝き、衰弱していたからだに力がよみがえった。病気の面影は子供のどこにもみられなくなった。燃えていた肉体はやわらかくうるおい、子供は静かな眠りに落ちた。熱は日盛りになくなっていた。家族の者たちは驚き、そのよろこびは大きかった。」(同上239)
b. イエスは助けを嘆願する者にどのようにお答えになりますか(マタイによる福音書 11:28–30)。
「救い主は、大きな必要を訴えながらすがりつく魂を、しりぞけることがおできにならない。」(同上239)
「あなたは自分が罪びとだから神から祝福を受ける望みがないとでもお思いになるだろうか。キリストは罪びとを救うためにこの世においでになったのだということを覚えなさい。自分自身を神に推薦するようなものは何もない。わたしたちがいつも訴えることのできる願いは、キリストのあがないの力を必要としている自分の完全に無力な状態である。わたしたちは、自己信頼の念をいっさい捨てて、カルバリーの十字架をながめ、『わが手には何も価値あるものをもたず、ただ、なんじの十字架にすがるだけである』と言うことができる。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング40)
金曜日
3月7日
個人的な復習問題
1. 預言者が自分たちの土地でほとんどの場合受け入れられないのはなぜですか。
2. 役人はどのような言葉で自分の不信仰を明らかにしましたか。
3. キリストは不信仰な人々に対してどのように対応なさいましたか。
4. ユダヤ人と異邦人、どちらがイエスにより大きな信仰を表しましたか。
5. イエスはこのお方の招きを受け入れるすべての人に何を約束なさいましたか。