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Sabbath Bible Lessons

ヨハネによる福音からの教訓(パート1)

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息日2025年2月1日 第5課
イエスとニコデモ 暗唱聖句:「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない』。」(ヨハネによる福音書 3:3)
推奨文献:   キリストへの道88-103 
「流れが清くなるには、心の泉がきよめられなければならない。自分で律法を守る行為によって天国にはいろうとする者は不可能なことを試みているのである。」(各時代の希望上巻201)

1. 著名な人物がイエスを探し求める 日曜日 1月26日
a. ニコデモとはだれでしたか、また人々の目には彼はどのように見られていましたか(ヨハネによる福音書 3:1, 10)。 「ニコデモはユダヤ国民の中で高い信任の地位を占めていた。彼は高い教育を受け、並々ならぬ才能を持ち、また国民議会の名誉ある議員であった。……彼は金持ちで、学問があり、尊敬されていたが、ふしぎにこのいやしいナザレ人に心をひかれていた。」(各時代の希望上巻197)「彼は厳格なパリサイ人で、自分の善行を誇っていた。彼は、慈善心と、宮の奉仕を維持するために惜しまず献金することとによって世間から尊敬されていたので、神の恵みは確実であると思っていた。」(同上200) b. ニコデモはどんな時間にイエスに会いに行きましたか(ヨハネによる福音書 3:2 (上句))。 「特別な調査によって、オリブ山にひっこんでおられる救い主の居所を知ると、彼は町が眠りのうちに静まるまで待ち、それからイエスをたずねて行った。」(同上198, 199)

2. 個人的な会見 月曜日 1月27日
a. このような夜更けに訪問者を受け入れたイエスの優しい理解を示すものは何ですか(詩篇 31:20, 21)。 「ニコデモはイエスとの面会を非常に望んだが、公然とイエスに会うことをちゅうちょした。ユダヤ人の役人が、まだほとんど名も知られていない一教師に共鳴していることを公然と表明することは不面目なことだった。イエスをたずねたということがもしサンヒドリンに知られたら、彼らの嘲笑と非難とを招くであろう。彼は、自分が公然とたずねるとほかの者たちがまねをするからという理由を口実にして、ひそかにイエスに面会しようと決心した。」(各時代の希望上巻168) b. どのようにニコデモがイエスとの会見を始めたかを述べなさい(ヨハネによる福音書 3:2)。 「キリストの前に出ると、ニコデモは妙な気おくれを感じ、それを平静と威厳の様子によっておしかくそうとつとめた。彼は言 った、『先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません』(ヨハネ3:2)。彼は、教師としてのキリストの非凡な才能について、また奇跡を行われるすばらしい力について語ることによって、面会の道ならしをしようと望んだ。彼のことばは信頼心をあらわし、また信頼心を起させるように意図されていた。だが実際にはそのことばに不信があらわれていた。彼はイエスをメシヤとしてみとめず、ただ神からつかわされた教師としてみとめた。」(同上198、199) c. キリストはどのような概念でニコデモを驚かせましたか(ヨハネによる福音書 3:3)。 「このあいさつをみとめないで、イエスは、相手の心の奥底を読んでおられるかのように、語り手にじっと目をそそがれた。限りない知恵を持っておられるイエスは、ご自分の目の前に真理を求めているひとりの人間をごらんになった。主はこの来訪の目的をご存じであった。そこで主は、相手の心にすでにめばえている確信を深めようと望んで、まっすぐ中心点にふれ、厳粛に、しかしやさしく言われた、『よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない』(ヨハネ3:3)。ニコデモは、主と議論しようと思ってやってきたのであったが、イエスは真理の根本原則をはっきりとお示しになった。」(同上199)

3. 新しく生まれる 火曜日 1月28日
a. ニコデモはキリストが必要だと言われたことにどのように答えましたか、また彼と同じように、なぜわたしたちは新しく生まれる経験が必要なのでしょうか(ヨハネによる福音書 3:4–8)。 「イエスは、新しく生れるという表現をお用いになったが、それはニコデモにとって全然聞きなれないことばではなかった。異教からイスラエルの信仰に改宗した者は、よく生れたばかりの子供にたとえられた。だから彼はキリストのことばを文字通りの意味に受け取るべきではないことをみとめていたにちがいない。しかし彼は、イスラエル人として生れたおかげで、自分は必ず神のみ国にはいるものと考えていた。彼は自分が変化する必要があると思わなかった。だから救い主のことばに驚いたのである。彼はこのことばがぴったりと自分自身にあてはめられたことにいらだった。パリサイ人としての誇りが真理を求める者としての正直な願いと戦っていた。彼はキリストがイスラエルのつかさとしての彼の立場を尊敬しないで、自分に こんな話し方をされるのをあやしんだ。驚いて落ち着きを失った彼は、皮肉のこもったことばで、『人は年をとってから生れることが、どうしてできますか』とキリストに答えた(ヨハネ3:4)。彼は、他の多くの人々と同じように、鋭い真理が良心に訴えられると、生れながらの人は神のみたまの賜物を受け入れないということをあらわした。彼のうちには霊的事物に応ずる何ものもない。なぜなら霊的事物は霊的に判断されるからである(コリント第一2:14参照)。しかし救い主は議論に議論をもって応じられなかった。キリストは重々しく静かな威厳をもって片手をあげ、一層強い保証をもって、『よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない』と、真理を強調された(ヨハネ3:5)。」(各時代の希望上巻200, 201) b. 人はいつ、またどのように新たに生まれることができますか(ヨハネによる福音書 1:12, 13)。 「神は、人間が神と和解することができるように、『そのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。』人間は、キリストの功績によって、創造主との調和を回復することができるのである。彼の心は、神の恵みによって新しくされなければならない。彼は、上からの新しい生命を受けなければならない。この変化が新生であって、これがなければ「神の国を見ることはできない」とイエスは言われるのである。」(各時代の大争闘下巻194)「神を信ずるこの簡単な行為によって、聖霊はわたしたちの心に新しいのちをお与えになる。わたしたちは神の家族の子供として生れたのである。ですから、神はみ子を愛されるのと同じようにわたしたちを愛してくださるのである。」(キリストへの道67)

4. 清めと再生 水曜日 1月29日
a. 新しく生まれることに伴う清めと再生を象徴するものは何でしょうか(マルコによる福音書 16:16 (上句))。 「心を改変する神の力は遺伝的後天的な傾向を変えることができる。なぜならイエスの宗教は向上させる宗教だからである。『新たに生まれる』ということは改変すること、キリスト・イエスにあって生まれ変わることを意味する。」(アドベンチスト・ホーム222)「キリストはバプテスマをご自分の霊的王国に入る印となさった。このお方はこれを御父と御子、また聖霊の権威の下にいることを認められたい者はみな、この儀式に応じなければならない。キリストはこの儀式を明確な条件とされた。人は教会の中に場所を見出す前に、神の霊的王国の入り口に入る前に『主はわれわれの正義』という神の御名の刻印を受けなければならない(エレミヤ23:6)。バプテスマは最も厳粛な世を放棄する儀式である。御父、御子また聖霊の三重のみ名によってバプテスマを受ける者は、クリスチャン生活のまさに入り口で、公に自分たちがサタンに仕えることを止め、天の王の子、王家の一員となったことを宣言する。彼らは『彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ…そして汚れたものにふれてはならない』との命令に従ったのである。そして彼らに対して『わたしはあなたがたを受け入れよう。そしてわたしはあなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主がこう言われる』との約束が成就する(コリント第二6:1718)。」(教会への証6巻91) b. わたしたち人間生来の悪と、わたしたちを聖化なさろうとする神のご計画について何が宣言されていますか(ヨハネによる福音書 3:6; エレミヤ書 17:9; エペソ人への手紙 5:26, 27)。 「わたしたちは、自分の力で一度沈んだ罪の淵からのがれることはできない。また、わたしたちの悪……教育 、教養、意志の力、人間の努力などいずれも、それぞれ大切な役割をもってはいるが、心を新たにする能力は全くないのである。もちろん、わたしたちの行動にただ外面的の正しさは与えるかも知れないが、心を変えることもできなければ、生活の源泉をきよめることもできないのである。天よりの新しい生命がその人の内部に働かなければ、人は罪よりきよめられることはできない。この力というのはキリストである。キリストの恵みのみが人の力なき魂を生きかえらせて、これを神と聖潔にひきつけることができるのである。」(キリストへの道15)

5. 新しい生活と新鮮な行動 木曜日 1月30日
a. 使徒たちは後に新生に伴う焦点の変化に関してどのようなメッセージを書きましたか(ガラテヤ人への手紙 2:20; ヨハネの第一の手紙 2:15–17)。 「心を改変する神の力は遺伝的後天的な傾向を変えることができる。なぜなら、イ エスの宗教は向上させる宗教だからである。「新たに生まれる」ということは改変すること、キリ スト・イエスにあって生まれ変わることを意味する。」(アドベンチスト・ホーム222)「[パウロ]は天の大君がなさった驚くべき犠牲を人々の心に理解させることができるならば、すべての利己主義は心から追い払われることができると確信していた。彼はまずキリストが天においてご自分の御父の傍らで占めておられた立場に心を向けさせ、その後このお方はご自分の栄光を捨て、人間の生来のあらゆる謙遜な状態に自発的に服従し、僕の責任を引き受け、死に至るまで従順であり、またその死が最も不名誉で目を背けたくなるような恥ずべきものであり、最も苦しい十字架の死であったことを明らかにした。クリスチャンは愛の感情や、わたしたちは自分のものではないという事実を実感することなしに、人間に対する神の愛のこの驚くべき表れを熟考することができるであろうか。このような主に悪意、貪欲、利己的な動機から仕えるべきではない。」(教会への証4巻458)「キリストがニコデモに言われたように、わたしはあなたがたに呼びかける『あなたは新しく生まれなければならない』と。キリストが内に支配している人は世の見せかけを真似ようという思いはない。彼らはどこででも十字架を掲げ、この世の人々が夢中になっているものよりも高い目的と崇高な主題を常に証するであろう。わたしたちの服装、住居、会話は神への献身を証するものでなければならない。このようにキリストのためにすべてを捧げたことを示す者には、どんな力が伴うであろうか。」(同上5巻189)

個人的な復習問題 金曜日 1月31日
1. ニコデモは自分の良い行いによって、彼は自分自身をどのようにみなしていましたか。 2. ニコデモはキリストの御前でどのようにふるまいましたか。 3. 「新たに生まれる」とはどのような意味ですか。 4. 新しく生まれるということはどのように起こりますか。 5. 新たに生まれた結果としてその態度にどのような変化が起こりますか、またそれはなぜですか。
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