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Sabbath Bible Lessons

ヨハネによる福音からの教訓(パート1)

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第7課 息日2025年2月15日

イエスとバプテスマのヨハネ

暗唱聖句:「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」(ヨハネによる福音書 3:30)

「バプテスマのヨハネはわたしたちの救い主によって最も偉大な預言者であると宣言された。しかしこの神の人の言葉と十字架の代表者であると公言する多くの者の言葉とは何と対照的であることであろう。ヨハネは自分がキリストなのか、と質問された時、彼は自分には主のくつのひもを解く値うちもないと宣言した。」(教会への証 5巻224)

推奨文献:   教会への証5巻721–729 

日曜日 2月9日

1. 弟子たちの間の問題

a. どのような問題がヨハネの弟子たちとユダヤ人の間で生じましたか(ヨハネによる福音書 3:25)。

「ヨハネの弟子たちは高まって行くイエスの人気をねたみの目で見た。彼らはイエスの働きを批判しようと待ちかまえていたが、まもなくその機会をみつけた。バプテスマは魂を罪からきよめるのに役立つかどうかということについて、彼らとユダヤ人との間に疑問が起った。彼らはイエスのバプテスマはヨハネのバプテスマと本質的にちがっていると主張した。まもなく彼らはバプテスマの時に用いるのに適当なことばの形式について、そしてついにはいったいキリストの弟子たちにはバプテスマをさずける権限があるのかどうかということについて、キリストの弟子たちと論争した。」(各時代の希望上巻211)

b. ヨハネの弟子たちはキリストの働きに対する嫉妬の気持ちをどのように表現しましたか。そしてヨハネはどのような高尚な答えを与えましたか(ヨハネによる福音書 3:26, 27)。

「ヨハネは人間に共通の欠点や弱点を生れつき持っていたが、神の愛にふれることによって生れ変っていた。彼は利己心と野心にけがされていない雰囲気のうちに住み、ねたみという毒気にまったく超越していた。彼は自分の弟子たちの不満に同情を示さないで、自分がメシヤに対してどんな関係にあるかをはっきりわきまえていることと、自分がそのために道を備えてきたおかたを歓迎していることとを明らかにした。」(同上212)


月曜日 2月10日

2. ヨハネの使命

a. どのようにヨハネは自分の使命を理解していることを示しましたか(ヨハネによる福音書 3:28, 29)。

「ヨハネは自分のことを、婚約者たちのために結婚への道を準備する使者の役目をつとめる友人であると言っている。花婿が花嫁を受け取った時に、その友人の役目は果される。彼は自分が尽力して縁を結ばせた人々の幸福をよろこぶ。このようにヨハネは、人々をイエスに向けるために召されていたので、救い主の働きの成功を目に見ることは彼のよろこびであった。」(各時代の希望上巻212)

b. ヨハネの働き、またわたしたちの働きを述べなさい(ヨハネによる福音書 1:23, 29)。

「ヨハネは、信仰をもってあがない主を見たとき、自己否認の高さにまでたかめられた。彼は人々を自分にひきつけようとしないで、むしろ彼らの思いをだんだん高めて、ついには彼らが神の子羊イエスに目を向けるようにした。彼自身は一つの声、荒野の叫びにすぎなかった。いま彼は、いのちの光であられるおかたにすべての人の目が向けられるために、自分はよろこんで沈黙し、世間から忘れられることに甘んじた。

「神の使命者としての召しに忠実な人たちは自分にほまれを求めない。自分を愛する思いは、キリストヘの愛によってなくなる。とうとい福音のみわざをさまたげるような対抗意識は何もない。彼らは、バプテスマのヨハネのように、『見よ、世の罪を取り除く神の子羊』 とのべつたえることが自分の働きであることをみとめる(ヨハネ1:29)。彼らはイエスを高め、そしてイエスとともに人間性が高められる、『いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる』、『わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕けたる者の心をいかす』(イザヤ書57:15)。」(同上213)

「あなたは自分の楽しみや都合の良さを探し求めてはならない。そうではなく、神の御心を知り、行うことを求めるべきである。一人一人が自問しよう。わたしはある魂に世の罪を取り除く神の小羊を指し示すことができないであろうか。わたしは失望した者を慰めることができないであろうか。わたしは神の王国でだれかの魂を救う手段になれないであろうか。わたしたちは自分たちの心に神の御霊の深い感動を望んでいる。それはわたしたち自身が白い衣を得ることができるだけではなく、他の人々にも影響を与え、彼らの名が決して消されることなく命の書に記されるようになるためなのである。」(ヒストリカル・スケッチ140)


火曜日 2月11日

3. 霊の賜物

a. 大多数の人々はキリストのメッセージに対してどのように反応しましたか(ヨハネによる福音書 3:32)。

「ヨハネの弟子たちは、人々がみなキリストのもとに行っていると告げたが、ヨハネはもっとはっきりした見通しをもって、『だれもそのあかしを受けいれない』と言った(ヨハネ3:32)。しかし『そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。』(ヨハネ3:33)。」(各時代の希望上巻214)

b. 霊の賜物はだれに授けられますか(ヨハネによる福音書 3:34)。

「われわれは、よろこんでおのれをむなしくするときにのみ天の光を受けることができる。われわれは、すべての思いをとりこにしてキリストに従わせることに同意しないかぎり、神のご品性を認識することも、信仰によってキリストを受け入れることもできない。これをなす者にはすべて、聖霊が無制限に与えられる。『キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである』(コロサイ2:9、10)。」(同上214)

c. 聖書にはどのように聖霊をより大きな度合いで受けるためのかぎが明らかにされていますか(ヨハネによる福音書 14:15–17; 使徒行伝 5:32)。

「わたしたちは『信じます』というだけではなく真理を実践しなければならない。わたしたちの神とのつながりを証明できるのは、わたしたちの言葉、わたしたちの態度、品性が神の御旨に服従することである。律法の違反である罪を捨てる時はいつでも、その人の人生は律法に服従し、完全な従順へと至る。これは聖霊の働きである。注意深く研究されたみ言葉の光、良心の声、御霊の努力は、キリストへの愛、すなわち人、体、魂、霊のすべてを贖うためにご自身を犠牲としてささげられたキリストに対する真の愛を心の中に生じさせる。愛は従順の内に現される。神を愛し、その戒めを守る者たちと、神を愛さずこのお方の教えを無視する者たちとの境界線ははっきりしており、明確である。」(教会への証6巻92)


水曜日 2月12日

4. バプテスマの価値

a. バプテスマを受けることを決心する時に、わたしたちがキリストのためにどのような一歩を踏み出しているかを理解することがなぜ重要なのですか(ヨハネによる福音書 3:36)。

「キリストを離れては、バプテスマは、他の儀式と同じように、無価値な形式である。」各時代の希望上巻214)

「キリストのバプテスマとヨハネのバプテスマのどちらが罪からきよめるかということは議論の必要がない。魂にいのちを与えるのはキリストの恵みである。」(同上214)

「不死はキリストによってのみ獲得することができるのである。『御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがない。』とイエスは言われた(ヨハネ3:36)。だれでも条件に応じさえすればこの貴重な祝福を手に入れることができる。『耐え忍んで善を行って、栄光とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ』るのである(ローマ2:7)。」(各時代の大争闘下巻281)

「バプテスマは最も厳粛な世の放棄である。御父、御子、聖霊の御三方のみ名によってバプテスマを受ける者は、クリスチャン生活のまさに入り口でサタンへの奉仕を捨て王家の一員、天の王の子になったことを公に宣言するのである。」(教会への証6巻91)

b. バプテスマが意味する現実的な生活の献身の深さを明らかにしたバプテスマのヨハネの驚くべき言葉を説明しなさい(ルカによる福音書 3:7, 8)。

「ヨハネは木の根元におのを置いた。彼は結果をおそれずに罪を責め、神の小羊キリストのために道を備えた。

「ヘロデは、ヨハネの力強く、するどいことばをきいて心を動かされ、深い興味をもって彼の弟子になるにはどうすべきかを問うた。ヘロデは、自分の兄弟がまだ生存しているのに、その妻をめとろうとしていた。ヨハネはそのことを知っていたので、それが正しくないことを忠実にヘロデに告げた。」(初代文集268)

「バプテスマのヨハネは身分の低い職業の人にも、地位の高い人にも公然たる非難をもって罪と向き合った。彼は王や貴族たちに、彼らが聞くか拒むかに関わらず、真理を宣言した。彼は個人的に、また的を射て語った。」(セレクテッド・メッセージ2巻149)


木曜日 2月13日

5. 賢明な方法

a. パリサイ人たちがヨハネとご自身との間に危機を作り出そうとしていることにお気づきになって、イエスはどうなさいましたか(ヨハネによる福音書 4:1–3)。

「イエスは、〔パリサイ人たち〕がご自分の弟子たちとヨハネの弟子たちとの間にみぞをつくるためには努力を惜しまないことをご存じだった。イエスは、かつてこの世に与えられた最も偉大な預言者の一人を吹き倒すような嵐が迫っていることを知っておられた。誤解と不和のあらゆる機会を避けようと望んで、キリストは静かにご自分の働きをやめてガリラヤに退かれた。われわれもまた、真理に忠実である一方では、不和と誤解にいたるかも知れないようなことはすべて避けるようにすべきである。なぜなら、そうしたことが起るといつでも、その結果は魂が失われることになるからである。われわれは、不和を生ずる恐れのある事情が起ったときにはいつでも、イエスとバプテスマのヨハネの模範にならわねばならない。」(各時代の希望上巻215)

b. 危機を打開するためのヨハネの態度からわたしたちは何を学ぶべきでしょうか(ヨハネによる福音書 3:30)。

「だがヨハネの弟子たちのように、多くの者は、その働きの成功が最初の働き人によってきまるかのように思うのである。注意は神よりも人に向けられ、ねたみがはいりこみ、こうして神の働きがさまたげられる。このように不当にほまれを受けた当人は、自信をいだくように誘惑を受ける。彼は自分が神に依存していることをみとめない。人々は、人間の指導を信頼するように教えられ、こうして彼らは誤りに陥り、神から離れさせられる。

神の働きには人間の肖像や刻印はおされない。主は時々、別のうつわを持ってこられるが、その人を通して神のみこころは最もよく成就されるのである。おのれを低くして、バプテスマのヨハネのように、『彼は必ず栄え、わたしは衰える』と心から言うことのできる者はさいわいである(ヨハネ3:30)。」(同上216)


金曜日 2月14日

個人的な復習問題

1. なぜヨハネの弟子たちはキリストのお働きに嫉妬したのでしょうか。

2. ヨハネは彼の弟子たちに何を宣言しましたか。

3. 聖霊の賜物は何の目的で与えられるのでしょうか。

4. バプテスマはどのようにしてその真の目的を果たすのでしょうか。

5. 弟子たちの間に危機が迫っていることに気づいた時、イエスとヨハネは何をしましたか。

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