a. パンの奇跡の後、多くの人々をとらえた確信は何でしたか(ヨハネによる福音書 6:14)。彼らは熱心に何をしようとしましたか(ヨハネによる福音書 6:15(上句))。「終日この確信は強まって行った。あの最高のみわざこそ、長い間待望していた救世主がわれわれの中におられる証拠である。人々の望みはだんだん高まっていく。この方こそユダヤをこの世の楽園にし、乳と蜜の流れる地にしてくださるおかたである。彼はあらゆる望みを満足させてくださることができる。彼は憎むべきローマ人の権力を打破することがおできになる。彼はユダとエルサレムを救うことがおできになる。彼は戦いに傷ついた兵士たちをいやすことがおできになる。彼は全軍に食物を補給することがおできになる。彼は諸国を征服し、イスラエルが長い間求めていた主権を与えることがおできになる。民衆は 熱心のあまりいますぐにもイエスを王位につけようとする。彼らは、イエスがご自分に注意をひきつけたり、栄誉を求めたりしようと努力されないのを見る。この点イエスは祭司たちや役人たちと根本的にちがっておられるので、彼らはイエスがダビデの位につく権利を主張されないのではないかと恐れる。彼らは相談し合って、イエスをむりやりにおし立て、イスラエルの王として宣言することに一致する。弟子たちも群衆といっしょになって、ダビデの位が彼らの主の正当な嗣業であることを宣言しようとする。キリストがこのような栄誉をこばまれるのは、遠慮のせいだと彼らは言う。民衆に救世主をあがめさせよう。高慢な祭司たちや役人たちにも、神の権威を帯びてこられたイエスを否応なしにあがめさせよう。」(各時代の希望中巻116-118)
2. 誤り導かれた熱心さをしずめる 月曜日 3月31日
a. イエスはご自分を地上の王座につけようとする群衆や弟子たちの計画を阻止するために、何をされましたか(ヨハネによる福音書 6:15)。「〔弟子たちと群衆〕は自分たちの目的を実行する手はずを熱心に進める。だがイエスは、この成り行きをごらんになり、彼らには理解できないが、このような運動の結果がどうなるかを理解される。いまでさえ祭司たちと役人たちは、イエスのいのちをねらっている。彼らは、イエスが民衆を彼らから引離しているといって非難している。イエスを王位につけようとする努力には暴力と反乱がともない、霊的王国のみわざがさまたげられるであろう。すぐにこの運動をとめなければならない。イエスは、弟子たちをお呼びになって、民衆を解散させるためにわたしは残るから、あなたがたは舟に乗ってすぐカペナウムヘもどりなさいと命じられる。キリストの命令がこれほど実行できないことに思えたことはこれまでになかった。弟子たちは、イエスを王位につける民衆の運動を長い間待ち望んできた。彼らは、このような熱心さがみなむだになってしまうという考えに耐えられなかった。過越節を守るために集まってきている群衆は、この新しい預言者を見たがっていた。キリストに従っている者たちにとって、これこそ愛する主のためにイスラエルの王位を確立する絶好の機会に思えた。この新しい野心が燃えあがっている中を、淋しい岸辺にイエスひとりを残して、自分たちだけで立ち去るのはつらいことだった。彼らはこの手配に抗議した。だがイエスは、かつてこれまで彼らに対してとられたことのない権威をもって、いま彼らに語られた。彼らは、これ以上反対することが無益であることを知り、だまって海へ向かった。」(各時代の希望中巻118, 119)b. 奇跡の翌日、群衆は何をしましたか(ヨハネによる福音書 6:22–25)。「パンの奇跡についてのうわさが遠近にひろがると、人々は、イエスを見に翌朝非常に早くベッサイダに集まってきた。彼らは、大変な人数で、海と陸づたいにやってきた。前の晩帰って行った者たちも、イエスが向こう岸に渡られる舟がなかったので、まだそこにおられると思ってまたやってきた。しかしさがしても、イエスはおられなかったので、多くの者はまだイエスをさがし求めながらカペナウムに行った。とかくするうちに、イエスは一日だけ姿をお見せにならなかったあと、ゲネサレに着いておられた。イエスが上陸されたことがわかると、人々は、『その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた』(マルコ6:55)。」(同上128)