日曜日
6月1日
1. 新たになされた尋問
a. イエスが視力を回復なさった若者を二回目に招集し、パリサイ人は彼に強制的に何をさせようとしましたか(ヨハネによる福音書 9:24)。
「パリサイ人たちは、自分たちが、イエスによってなされたみわざを宣伝していることに気がついた。彼らは、奇跡を否定することができなかった。盲人はよろこびと感謝に満ちていた。彼は、自然界のすばらしいものを目に見、地と空の美しさを見てよろこびに満たされた。彼は、遠慮なく自分の経験を語った。するとまた彼らは、彼をだまらせようとして、『神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている』と言った(ヨハネ9:24)。あの人がおまえの目を見えるようにしてくれたと二度と言うな、おまえの目が見えるようにしてくださったのは神であるというのだった。」(各時代の希望中巻267, 268)
b. 若者は、どのような反ばくできない議論を提示しましたか(ヨハネによる福音書 9:25)。
月曜日
6月2日
2. 新たになされた尋問 (続)
a. パリサイ人たちは再び視力の回復された若者に何を尋ねましたか。そして彼らの実際の目的は何でしたか(ヨハネによる福音書 9:26)。
「すると〔パリサイ人たち〕は、もう一度たずねた、『その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか』(ヨハネ9:26)。彼らは、いろいろなことを言ってこの男を混乱させ、自分はだまされたのだと考えるようにしむけた。サタンと悪天使たちは、パリサイ人のがわにいて、キリストの感化力を打ち消すために彼らの勢力とずるさを人間の理性と結合させた。彼らは、多くの人々の心に強まりつつあった確信をくもらせた。」(各時代の希望中巻268)
b. 若者は彼らにどのように答えましたか。またこのように彼に霊感を与えるためにかたわらに立っていたのは、だれでしたか(ヨハネによる福音書 9:27)。
「神の天使たちもまたその場にいて、視力を回復してもらった男を力づけた。
パリサイ人たちは、生れつき盲の無教育なこの男よりもほかのおかたを相手にしなければならないことに気がつかなかった。彼らは、論争している相手のおかたを知らなかった。天来の光がこの盲人の魂の奥底にさし込んだ。これらの偽善者たちが彼に信じさせないようにしようとしたとき、神は、この男の力強く鋭い答によって、彼がわなにおちいるような人間ではないことをお示しになった。」(同上)
c. 今日、どのように同じ助けが保証されていますか(ルカによる福音書 12:11, 12)。
「今、あなたは聖書をもって神のみ前に行き、み前でそれを開き、神に嘆願したいと思っている。あなたは自分の理解力が鋭くなることを願っている。自分が本当の真理の諸原則を知っていること、そして反対に直面するとき、それらに自分自身の力で対応しなくて良いことを確かめたいと思っている。神の御使があなたの右側に立ち、あなたに尋ねられるすべての質問に答えるのを助けて下さるであろう。しかし、同時にサタンがあなたの反対者の右側に立ち、あなたが無分別に語るよう挑発するために、彼らをかき立ててあなたに耐えがたいことを言わせるであろう。しかし、あなたの会話は、サタンがあなたの言葉を何も有利に用いることができないようなものにしなさい。」(レビュー・アンド・ヘラルト1887年5月3日)
火曜日
6月3日
3. 故意の盲目の前での勇気
a. 回復された若者を欺くことができないので、パリサイ人は彼をどのようにけなしましたか。そしてこのような無知が歴史を通じて、どのように表されてきましたか(ヨハネによる福音書 9:28, 29; コリント人への第一の手紙 1:18, 19, 26–28)。
「神は、各時代の神の教会に、その時、その時にふさわしい特別の真理と特別な仕事をお与えになった。世の知者、学者にはかくされた真理が、幼児のようなけんそんな者にあらわされた。真理は自己犠牲を要求する。戦いもあれば、勝利も得なければならない。初めのうち、支持者の数は少なく、世の偉大な人びとや俗化した教会からは、反対され、軽べつされた。」(キリストの実物教訓55)
「現代の大宗教家たちは、幾世紀も前に真理の種を植えた者をほめたたえて、その記念碑を建てる。ところが、そうする一方、彼らは今日、その同じ種から生じてきたものをふみにじることが多いのではないだろうか。『モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人が〔キリストにつかわされた使者はキリストを代表して いる〕どこから来た者か、わたしたちは知らぬ』という叫びが依然としてくり返されている(ヨハネ9:29)。初期におけると同様に、現代に対して特別に与えられた真理は、教会の権威者のところに見いだされるのではない。それは、これといった学識も知恵もないけれども、神のみことばを信じる男女のところにあるのである。」(同上56)
b. 若者のまごころからの証や他のキリストを信じる正直な信徒と共に、どの模範を学ぶことができますか(ヨハネによる福音書 9:30–33; 使徒行伝 4:19, 20)。
「慎みをつくして、恵みの精神のうちに、神の愛のうちに、わたしたちは主なる神が天地の創造主であられるということ、また第七日目が主の安息日であるという事実を人々に指し示すべきである。
主の御名において、わたしたちはこのお方の旗印をなびかせ、このお方のみ言葉を擁護して、前進すべきである。当局がわたしたちにこの働きをしてはならないと命じるとき、彼らが神の戒めとイエスの信仰を宣布することを禁じるとき、そのときわたしたちは使徒たちと共に次のように言う必要があろう。『神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない』(使徒行伝4:19, 20)。」(教会への証6巻395)
水曜日
6月4日
4. 暗い態度、暗い行動
a. 怒ったパリサイ人たちは証拠を受け入れたくないために、自分の癒しを証した若者をどのように扱いましたか(ヨハネによる福音書 9:34)。
「この男は、相手の立場に立って、審問者たちに応じた。彼の議論には答えることができなかった。パリサイ人たちは驚いてしまった。彼らはこの男の鋭い、断固たることばの前にすくんだようになって、だまってしまった。しばらく沈黙がつづいた。それから、ふきげんな顔をした祭司たちとラビたちは、この男との接触から汚れでもうつされるかのように、衣をひきよせた。彼らは足のちりを払い、『おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか』とのおどし文句を浴びせた(ヨハネ9:34)。そして彼らはこの男を破門した。」(各時代の希望中巻269)
b. 対照的に、イエスはこの若者を、どのように扱われましたか(ヨハネによる福音書 9:35–38)
「男は、救い主の足下にひれ伏して主を拝した。彼は肉眼が見えるようになったばかりでなく、さとりの目も開かれたのだった。彼の魂にキリストがあらわされたので、彼は、キリストを神からつかわされたおかたとして受け入れた。」(同上270)
c. 傲慢な反逆者を追放するのと、キリストを頑なに盲目的に拒絶する人が神を愛して従う魂を破門することの大きな違いを説明しなさい(列王記上 9:6–9; マタイによる福音書 12:31, 32; 詩篇 11:3)。
「〔ウィクリフ〕は、…だれでも先ず神から罪の宣告を受けることなくして、破門されることはあり得ない、と断言した。」(各時代の大争闘上巻90)
「それぞれの時代において、その時代に特に適切な現代の真理を伝えるために神に用いられる者は、すべて、反対に会わなければならない。ルターの時代には、現代の真理、すなわち、その時代において特別重要な真理があった。....この時代の真理を伝える者は、初期の改革者たちより歓迎されると期待してはならない。真理と誤謬、キリストとサタンとの間の大争闘は、この世界の歴史の終わりまで、激しさを増すのである。」(同上168, 169)
木曜日
6月5日
5. 光によって祝福される 対 裁かれる
a. イエスはご自分の働きの結果に関して、何と言われましたか(ヨハネによる福音書 9:39)。
「一群のパリサイ人たちが近くに集まっていたが、彼らをごらんになったイエスの心には、ご自分のことばとみわざの効果にいつもはっきりあらわれる相違が浮かんだ。…キリストは盲人の目を開き、暗黒のうちにある人々に光を与えるためにおいでになった。彼は、ご自分が世の光であることを宣言しておられたが、いま行われた奇跡は、イエスの使命を証明した。救い主の来臨の時に主を見た人たちは、前の時代の人々が受けたよりも一層深い神のご臨在のあらわれを示された。神についての知識は、もっと完全にあらわされた。しかしこのようにあらわされたことによって、さばきが人々の上にくだっていた。彼らの品性が試みられ、その運命が決定された。」(各時代の希望中巻270, 271)
b. パリサイ人たちはキリストの言葉に、どのように反応しましたか(ヨハネによる福音書 9:40)。彼らにお語りになったとき、イエスはどのように彼ら自身の盲目のゆえに彼らの罪を明らかにされましたか(ヨハネによる福音書 9:41)。
「天来の力のあらわれは、この盲人に肉眼の視力と霊的視力とを与えたが、それはまたパリサイ人を一層深い暗黒のうちに残した。....もし神が、あなたがたが真理を見ることができないようにされたのだったら、あなたがたの無知に罪はない。しかし今あなたがたは見えると言う。あなたがたは自分は見えると信じて、目の見える唯一の方法をこばんでいる。自分の必要をみとめるすべての者のために、キリストは無限の助けをもってこられた。だがパリサイ人たちは、必要を告白しようとしなかった。彼らは、キリストのみもとに行くことをこばんだ。だから彼らは、盲のままにとり残された。その盲は、彼ら自身の罪である。イエスは『あなたがたの罪がある』と言われた(ヨハネ9:41)。」(同上271)
金曜日
6月6日
個人的な復習問題
1. かつて盲目だった人に、パリサイ人たちは何を納得させようとしましたか。
2. 不信のパリサイ人たちを用いていたのはだれでしたか。
3. 明快で説得力のある答えができるように、だれが若者を助けましたか。
4. 若者が勇敢に公にキリストを告白したとき、何が起こりましたか。
5. 最悪な形態の盲目は何であるかを説明しなさい。それはなぜですか。