a. イエスが宮で教えておられる間、律法学者やパリサイ人は何をしていましたか(ヨハネによる福音書 8:2–3)。「イエスの話はすぐにさまたげられた。パリサイ人と律法学者の一群が、恐怖におびえた女をひっぱってイエスに近づき、はげしく熱心な声で、この女が第七条の戒めを犯したことを責めた。」(各時代の希望中巻246)b. 律法に対して外見上は敬意を示しながら、パリサイ人はキリストにどの質問をしましたか。また彼らの真の意図は何でしたか(ヨハネによる福音書 8:4–6(上句))。「彼らの敬虔のよそおいの下には、イエスの破滅をたくらむ深い陰謀がかくされていた。彼らは、イエスがどんな決定をくだされるにせよ、彼を非難するチャンスをみつけることができると考え、イエスを罪に定めるのにこの機会をとらえたのであった。もしイエスがこの女を無罪とされたら、モーセの律法を軽んじているという非難を受けられるだろう。もしこの女が死に値すると宣告されたら、イエスは、ローマ人にのみ属している権威を自分がとられたといってローマ人に対して訴えられるであろう。」(同上)
2. 真の構図が明らかにされる 月曜日 4月28日
a. パリサイ人の欺瞞に、イエスはどのように応じられましたか(ヨハネによる福音書 8:6(下句))。「イエスはしばらくその光景―恥ずかしさにうちふるえている被害者と人間的なあわれみの情さえないこわい顔つきをした高官たちとをながめておられた。けがれのないイエスの純潔な心はその光景にすくんだ。この問題がどんな目的で自分のところへ持ち込まれたかを、イエスはよくご存知だった。イエスはみ前にいる一人びとりの心を読み、その品性と経歴を知っておられた。正義の擁護者を気取っているこれらの人たちは、イエスをわなにかけるために自分たちでこの被害者を罪におとし入れたのだった。イエスは、彼らの質問を聞いた様子をなさらずに、かがみこんで、目をじっと地面にそそぎ、土の上に何か書き始められた。」(各時代の希望中巻246, 247)b. イエスは、どのように告発者自身、罪のない者はいないことを示されましたか。またそのとき彼らは何をしましたか(ヨハネによる福音書 8:7–9)。「告発者たちは敗北した。いま聖潔をよそおった彼らの衣は引きはがされ、彼らは限りない純潔そのものであられるおかたの前に、不義と罪に定められて立っていた。彼らは自分たちの生活のかくれた不義が群衆の前にさらけ出されはしないかとふるえあがった。そしてひとりずつ、頭をたれ、目を伏せて、被害者を同情深い救い主といっしょに残したまま、こそこそと立ち去った。」(各時代の希望中巻247, 248)c. 一般的に、わたしたちみな、告発者に対するイエスの言葉から何を学ぶべきですか(ルカによる福音書 6:42)。「自分たちにとって過ちがあると見える事柄を改革したがり、早まる人々がいるものである。彼らは過ちを犯した人々に自分たちが取って代わるために選ばれるべきだと考える。彼らは自分たちが見て批判している間に、これらの働き人たちがなしてきたことの価値を軽視する。彼らは自分の行動によって、『わたしは大きなことができる。成功のうちに働きを進めることができる』と言うのである。自分は過ちを避ける方法をよく知っていると考える人々にわたしは次のように言うよう指示されている。『人をさばくな。自分がさばかれないためである』(マタイ7:1)。あなたはある点において過ちを避けることができるかもしれないが、他のことについては深刻な大失敗をしがちである。それらは回復するのが非常に難しく、働きに混乱をもたらすかもしれない。これらの過ちはあなたの兄弟たちが犯した過ちよりもさらに有害であろう。」 (教会への証7巻279)
3. 予期しない行動 火曜日 4月29日
a. イエスは女の告発者が去った後、彼女に何をお尋ねになりましたか。また状況を対処されたこのお方の方法は、その後の彼女の人生にどのように影響を及ぼしましたか(ヨハネによる福音書 8:10, 11)。「女は恐怖にすくみながら、イエスの前に立っていたが、『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』との主のお言葉は彼女にとって死の宣告であった。彼女は救い主を見あげる勇気もなく、だまって自分の運命を待っていた。しかし驚いたことに、彼女を訴えた人々が、ひと言も言わずに、あわてて去って行くのを見た。それから、『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』との望みの言葉を聞いたのであった。彼女の心はとけ、イエスの足もとにひれ伏して、彼女はありがたさに泣き、悲しみの涙を流して、その罪を告白した。彼女にとってこれは新しい生涯、すなわち神に献身した純潔と平安な生涯の始まりだった。この堕落した魂を向上させることによって、イエスは最も重い肉体の病気をいやすよりも大きな奇跡をなさった。すなわち永遠の死にいたる、霊的な病気をおいやしになったのである。この悔い改めた女はキリストの最も変らない弟子のひとりとなった。彼女はキリストのあわれみによるゆるしに対して、自己犠牲の愛と信仰をもって感謝を表示した。社会はこの誤った女を軽蔑し、嘲笑するだけであったが、罪なきキリストは、彼女の弱さをあわれみ、救いの手をおのべになった。偽善的なパリサイ人が非難しても、イエスは『お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』とお命じになったのである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング59, 60)「この女をゆるし、もっとよい生活をするように励ましておやりになったイエスの行為を通して、イエスのご品性は完全な義の美しさに輝いている。イエスは、罪を軽く見たり、不義の意識を弱めたりはされないが、罪に定めようとしないで、救おうとされる。世の人たちは、過失を犯しているこの女を軽蔑し嘲笑することしかしなかった。だがイエスは、慰めと望みのことばを語られる。」(各時代の希望中巻249)b. キリストの救う恵みの効果を述べなさい(ルカによる福音書 7:37–40, 47, 48)。「イエスはどの魂の事情もご存じである。罪びとの罪が重ければ重いだけ、救い主を必要とするのである。キリストの神聖な愛と同情心は、敵のわなにかかって、最も望みのない状態になった者に、まず向けられる。キリストはご自分の血で、人類釈放の証書に署名なさった。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング60)