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Sabbath Bible Lessons

ヨハネによる福音からの教訓 (パート 2)

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安息日2025年6月28日 第13課
復活であり命 暗唱聖句:「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書11:25
推奨文献:   セレクテッド・メッセージ1巻296–300 
「信じる者には、死は小事にすぎない。キリストは、それをたいしたことではないかのように語っておられる。…クリスチャンにとって死は眠り、一瞬の沈黙と暗黒にすぎない。生命はキリストと共に神のうちにかくされ、」(各時代の希望下巻318)

1. ベタニヤにおけるイエス 日曜日 6月22日
a. イエスがベタニヤに来られると聞いて、マルタは何をして、どのような確信を表明しましたか(ヨハネによる福音書 11:20–22)。 「会葬者たちの中には、この家族の親戚の人たちがいて、そのある者はエルサレムで高い責任の地位を占めている人たちだった。その中にはキリストの最も激しい反対者たちが何人かいた。キリストは彼らの意図を知っておられたので、すぐには姿をお見せにならなかった。知らせはそっとマルタに伝えられたので、部屋の中のほかの人たちにはきこえなかった。…マルタは、イエスを出迎えるために急いだが、彼女の心は矛盾する感情に波立っていた。マルタは、イエスのお顔の表情に、いつもと変らないやさしさと愛情を読みとった。イエスに対する彼女の信頼は裏切られなかった。しかし彼女は、イエスも愛しておられた自分の愛する兄弟のことを思った。イエスがもっと早くきてくださらなかったために彼女の心にわき起こっている悲しみと、いまでも主は自分たちを慰めるためになにかをしてくださるだろうという望みとで、彼女は、『主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう』といった(ヨハネ11:21)。この姉妹たちは、泣き人たちの騒ぎの中にあって、この言葉を何度も何度も繰り返したのだった。人としてまた神としての同情をもって、イエスは悲しみと心配にやつれたマルタの顔をじっとごらんになった。マルタは過ぎ去ったことをくどくどくりかえしたいとは思わなかった。すべては、『主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう』との悲痛なことばに表現されていた。しかしイエスの愛のお顔をじっとみながら、彼女は、『しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえてくださることを、わたしは今でも存じています』とつけ加えた。」(各時代の希望中巻344, 345)

2. 究極的な希望の約束 月曜日 6月23日
a. イエスはマルタに何を保証されましたか(ヨハネによる福音書 11:23)。これにより彼女は何を理解しましたか(ヨハネによる福音書 11:24)。 「イエスはマルタの信仰を励まして、『あなたの兄弟はよみがえるであろう』といわれた(ヨハネ11:23)。イエスの答えは、その場の変化について望みを起こさせるためにいわれたのではなかった。主は、マルタの思いを、彼女の兄弟の現在の回復をこえて、義人のよみがえりにむけられた。主がそうされたのは、彼女が、ラザロのよみがえりを通して、死んだすべての義人のよみがえりについての保証と、義人のよみがえりが救い主の力によってなしとげられるという確信とをみるためであった。マルタは、『終わりの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています』と答えた(ヨハネ11:24)。(各時代の希望中巻345) b. イエスはマルタの確信を、どの言葉をもってお認めになりましたか(ヨハネによる福音書 11:25; ヨハネの第一の手紙 5:12)。 「イエスはなおマルタの信仰に正しい方向を与えようとして、『わたしはよみがえりであり、命である』と宣言された(ヨハネ11:25)。キリストのうちには、借りたものでもなければ、ほかから由来したものでもない、本来の生命がある。『御子を持つ者はいのちを持』つ(ヨハネ第一5:12)。キリストの神性は、永遠の生命についての信者の確信である。」(同上345, 346) c. どの約束が、墓の向こうのわたしたちの希望の基礎ですか(ヨハネによる福音書 5:26(上句))。マルタの確信は、キリストの奇跡とどのように関係していますか(ヨハネによる福音書 11:26, 27)。 「キリストはここでご自分の再臨の時を予期しておられる。その時、死せる義人は朽ちない者としてよみがえり、生ける義人は死を見ないで天へ移されるのである。キリストがラザロを死人の中からよみがえらせることによって行おうとしておられた奇跡は、死せるすべての義人のよみがえりを代表するのであった。キリストはみことばとみわざによって、ご自分がよみがえりの創始者であることを宣言された。まもなくご自分が十字架上に死のうとしておられたキリストは、よみの征服者として死の鍵をもって立ち、永遠の生命を与える権利と権力とを主張された。」(同上346)

3. イエスが泣かれる 火曜日 6月24日
a. 悲しみに打ちひしがれたマリヤの行動と言葉を述べなさい(ヨハネによる福音書 11:28–32)。 b. イエスがマリヤと何人かのユダヤ人が泣いているのを見たとき、イエスはどうされましたか。それはなぜですか(ヨハネによる福音書 11:33–35)。 「『イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ』られた。主は集まっているみんなの心を読まれた。悲しみの表現として通っていることが、多くの者にとっては見せかけにすぎないことを、主はごらんになった。いま偽善的な悲しみを表わしている人々の中に、偉大な奇跡を行うおかたばかりでなく、死人の中からよみがえさせられるラザロの死もまもなくたくらむ人たちがいることをご存知だった。キリストは、彼らのみせかけの悲しみという衣を引きはがすこともおできになった。しかし主は、その正しい怒りを抑えられた。主は、事実のままに語ることのおできになることばを、口からだされなかった。なぜなら、そこには、悲しみのうちに主の足下にひざますきながら本当に主を信じている愛する者がいたからである。彼らはイエスにいった、『主よ、きて、ごらん下さい』(ヨハネ11:34)。彼らは一緒に墓のほうへ進んでいった。それは悲しみに満ちた光景であった。ラザロは大層愛されていたので、その姉妹たちは心を断ち切られるような思いで泣き、一方ラザロの友人だった人たちも、あとに残された姉妹たちと一緒に涙を流した。人としてのこのような悲嘆を思い、また世の救い主がそばに立っておられるのに友人たちが死人についてこんなにも悲しみ苦しんでいるのをごらんになって、『イエスは涙を流された』。イエスは、神の御子であられたが、人性をとっておられたので人の悲しみに心を動かされた。主のやさしい、あわれみに満ちた心は、苦悩をごらんになることによっていつも同情をよび起こされる。主は泣く者と共に泣き、よろこぶ者と共によろこばれるのである。」(各時代の希望中巻347, 348) c. イエスの生涯におけるこのひと時は、わたしたちにどのように模範となるべきですか(ローマ人への手紙 12:15)。 「キリストのりっぱな模範、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜び、他人の気持に自らなられたところの、比類のない優しさが真心からキリストに従うすべての人の性格に深い感化を及ぼすに違いない。そう言う人は親切な言葉、行動によって疲れた者の道を平易にしようと努力する。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング130)

4. 神と人類のあいだの協力 水曜日 6月25日
a. イエスはご自分のまわりにいる人々にどのご命令をお与えになりましたか(ヨハネによる福音書 11:39(上句))。マルタはどのように反応しましたか。またイエスは彼女に何と言われましたか(ヨハネによる福音書 11:39(下句))。 「主が働きをしようとされると、サタンはだれかが反対するように働きかける。『石を取りのけなさい』とキリストは言われた。できるだけ、わたしの働きに道を備えなさい。しかしマルタの積極的で野心的な性質が表面にあらわれた。彼女は、腐りかけたからだを見せたくなかった。人間の心は、キリストのみことばをなかなか理解できないので、マルタの信仰は、キリストの約束の真の意味を把握していなかった。キリストはマルタを責められたが、そのことばはこの上なくやさしく語られた。『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』(ヨハネ11:40)。なぜあなたはわたしの力について疑うのか。何の理由でわたしの要求に反対するのか。あなたはわたしのことばを持っている。もしあなたが信じるなら、あなたに神の栄光を見させてあげる。自然の不可能は、大能の神の働きを妨げることができない。懐疑と不信は謙遜ではない。キリストのみことばを絶対に信ずることこそ、真の謙遜であり、真に自己を放棄することである。『石を取りのけなさい』(ヨハネ11:39)。キリストは、石にそこをどきなさいとお命じになることもできたし、また石もその声に従ったであろう。キリストはご自分のそば近くの天使たちに石を取りのけるように命じることもおできになった。キリストのご命令に、目に見えない手が石を取りのけたであろう。しかしそれは人間の手で取りのけられねばならなかった。こうしてキリストは、人は神と協力することを示そうと望まれた。人の力でできることには、神の力は呼び求められない。神は人の助けなしにはすまされない。神は人を強め、彼が自分に与えられている才能と能力とを用いるとき、その人と協力される。」(各時代の希望中巻350, 351) b. キリストのどの言葉がわたしたちの不信を今日やさしく譴責しますか(ヨハネによる福音書 11:40)。 「しかし、生きた信仰を持たない者が多い。彼らがなぜ、もっと神の力をみることができないかは、それに起因している。彼らが弱いのは、不信仰の結果である。…彼らはなんでも自分で処理しようとする。いろいろ考えてはみるが、ほとんど祈ることをせず、神に対する真の信頼に欠けている。自分では信仰があるように思っているが、それは、一時の衝動にすぎない。彼らは、自分たちの必要、あるいは、神が喜んで与えようとしておられることを認めないために、主のみ前に彼らの願いを述べつつ、耐え忍ぶことをしないのである。」(キリストの実物教訓124)

5. イエスがラザロをよみがえらせる 木曜日 6月26日
a. イエスは、墓の横で、どの祈りをお捧げになりましたか(ヨハネによる福音書 11:41, 42)。 「命令に従って、石がとり除かれる。すべてのことが公然とわざわざ行われる。何の欺瞞も行われていないということを見る機会がすべての人に与えられる。岩の墓の中に、ラザロのからだが死のうちに冷たく無言のまま横たわっている。泣き人たちの泣き声が静まる。人々は、驚きと期待の思いで、次に何事が起こるかを見ようと待ちかまえて、墓のまわりに立っている。…ここでキリストは、神をご自分の父と呼び、完全な確信をもって、ご自分が神のみ子であることを宣言しておられる。」(各時代の希望中巻351) b. どの言葉をもってイエスはラザロをよみがえらせましたか(ヨハネによる福音書 11:43)。ただちに何が起こりましたか(ヨハネによる福音書 11:44)。 「鋭いキリストのみ声が死者の耳をつらぬく。キリストが語られると、神性が人性の中にひらめく。神の栄光に照らされたキリストのみ顔に、人々はキリストの力についての保証を見る。どの目もほら穴の入口に釘づけにされる。どの耳も、ほんのかすかな音でも聞きのがすまいとする。苦痛なまでの非常な関心をもって、どの人もみなキリストの神性がためされるのを待ち受ける。それは神のみ子であるというキリストの主張を実証するか、それとも望みを永遠に消滅させるか、そのどちらかの証拠となるのであった。静かな墓の中に動く気配がして、死んでいた者が墓の戸口に立つ。…人は人のために働かねばならない。ラザロは自由になり、病気でやつれ果てて手足のよろめく弱々しい人間としてではなく、人生の盛りにある、力に満ちたりっぱな人間として人々の前に立つ。彼の目は知性と救い主への愛に輝いている。彼は、賛美のうちに、イエスの足下にひれ伏す。」(各時代の希望中巻352, 354)

個人的な復習問題 金曜日 6月27日
1. ラザロの姉妹たちがイエスに対して持っていた信頼を述べなさい。 2. イエスはマルタとマリヤと、すべての信徒に何を約束されましたか。 3. イエスはなぜ泣かれたのですか。 4. この奇跡において、どのように人性は神性と協力したのですか。 5. イエスの呼び声に応じたラザロの行動を述べなさい。
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