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Sabbath Bible Lessons

ヨハネによる福音からの教訓 (パート 2)

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安息日2025年4月26日 第4課
この人のように語った者はなかった 暗唱聖句:「下役どもは答えた、『この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした』。」(ヨハネによる福音書 7:46)
推奨文献:   牧師への証506–512 
「真理を感知し、認識することは、頭よりも心の問題であると、イエスは言われた。真理は魂に受け入れられねばならない。それは意思の服従を要求する。」(各時代の希望中巻238)

1. イエスに対する民の関心 日曜日 4月20日
a. イエスが公に説教しているのを聞いたり見たりして、あるユダヤ人たちは何を尋ねましたか(ヨハネによる福音書 7:25, 26)。 「エルサレムに住んでいて、キリストに対する役人たちの陰謀を知らないことはなかった聴衆の中には、抵抗できない力によってキリストにひきつけられている者が多かった。彼らは、イエスが神のみ子であるという確信を強く感じさせられた。」(各時代の希望中巻240) b. サタンはどのように役人たちが疑いを起こすように働きかけましたか(ヨハネによる福音書 7:27)。 「サタンはすぐに疑いを起そうとするのであった。メシヤとその来臨について、彼ら自身のまちがった考え方によって、疑いへの道が備えられていた。キリストはベツレヘムにお生まれになるが、しばらくするとその姿が見えなくなり、二度目に姿を現わされた時には、だれも彼がどこからこられたかを知らないと一般に信じられていた。メシヤは人間から生まれるのではないと主張する人たちが少なくなかった。またメシヤの栄光についての民衆の観念がナザレのイエスにあてはまらなかったので、多くの者は、『わたしたちはこの人がどこからきたのか知っている。しかし、キリストが現れる時には、どこから来るのか知っている者は、ひとりもいない』との暗示に注意を払った(ヨハネ7:27)。」(同上)

2. 奇跡的な計画が妨げられた 月曜日 4月21日
a. 疑いながら聞く人々の思想を読まれて、イエスは彼らに、何と言われましたか(ヨハネによる福音書 7:28)。 「このように彼らが疑いと信仰の間を動揺していると、イエスは、彼らの思いを取りあげて、こうお答えになった、『あなたがたは、わたしを知っており、また、わたしがどこからきたかも知っている。しかし、わたしは自分からきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実であるが、あなたがたは、そのかたを知らない』(ヨハネ7:28)。彼らは、キリストの生まれがどうあるべきかについて知っていると主張したが、しかしそのことについてまったく無知であった。もし彼らが神のみこころに一致した生活をしていたら、彼らは、神のみ子が彼らにあらわされたときにみ子を知ったであろう。」(各時代の希望中巻240, 241) b. イエスに反ばくできる論拠がなかったために、ユダヤ人の指導者たちはどの手段をもってこのお方を黙らせようとしましたか(ヨハネによる福音書 7:30(上句))。実際、彼らはなぜキリストを捕まえられなかったのですか(ヨハネによる福音書 7:30(下句))。 「聴衆は、キリストのみことばを理解しないではいられなかった。それは明らかに何か月も前にイエスがサンヒリンの議員達の前でご自分を神のみ子と宣言された時の主張のくりかえしであった。役人たちは、その時イエスの死をたくらんだように、いままたイエスを捕えようとした。しかし彼らは目に見えない力にさまたげられた。その力は彼らの怒りを制限して、『ここまで来てもよい、越えてはならぬ』と彼らに言った。」(同上241) c. どのように多くの人々がイエスを信じる自分の信仰を表明しましたか。また役人たちはひとたび民がこのお方に共鳴していることを認めると何を企てましたか(ヨハネによる福音書 7:31, 32)。 「パリサイ人の指導者たちは、事の成り行きを心配して見守っていたが、群衆の中に共鳴の表情を見てとった。彼らは急いで祭司長たちのところへ行って、イエスを捕える計画をたてた。しかし彼らは、イエスがひとりでおられるときに捕えるように手はずをきめた。なぜなら人々の目の前でイエスを捕える勇気がなかったからである。」(同上)

3. 招き 火曜日 4月22日
a. 祭の最終日に、イエスは罪に疲れている魂を慰めるために、どの美しい例をお用いになりましたか(ヨハネによる福音書 7:37, 38)。 「神の言葉を受け入れる人は、蒸発してしまう水たまりや、大切な水を失ってしまうこわれた水ためのようなものではない。それは、つきない泉を源とする山間の流れのようなもので、岩間に飛び散って輝くその冷たい水は、疲れた人や、のどの渇いた人、重荷を負っている人々を活気づけるのである。それは絶え間なく流れる川のようなものである。そして、それは流れていくにつれて、ますます深く広くなって、ついにその生命を与える水は全地をおおうに至るのである。さざめき流れる小川はそのあとに緑と豊かな実りの賜物を残してくれる。岸辺はあざやかな緑に映え、樹木は深い緑を装い、草花は色とりどりに咲き誇る。焼けつくような暑さのもとで、地上の草木が枯死しようとしているとき、川の流れに沿って緑が一つの線をえがく。神の真の子供もそれと同じである。キリスト教は、活気にみなぎった普遍的原則、生きた活動的霊的活力となってあらわれる。 真理と愛という天の影響に心が開かれるときに、これらの原則は、再び砂漠の中の川のように流れ始めて、今、不毛と飢饉に悩む地に、豊かな実りをもたらすのである。」(国と指導者上巻201) b. この招きは、さらにどのように理解されるべきですか(ヨハネによる福音書 7:39)。 「キリストは福音の中にある真理の諸原則を提示された。このお方の教えの中で、わたしたちは神のみ座から流れる清水を飲むことができる。」(教会への証8巻309)「わたしたちに必要なのは生きた宗教である。義務について広い見解をもつたった一人の個人、すなわち魂が神との交わりのうちにおり、キリストのための熱心に満ちている人は、善のために強力な感化力を発揮する。その人は低くよどんだ汚染されたところからは飲まないで、泉の源で純粋な高い水から飲む。そして彼は新しい霊と力を教会に伝達することができる。外からの圧迫が増すにつれ、神はご自分の教会が、彼らの信じる神聖で厳粛な真理によって活力を得ることを望んでおられる。天からの聖霊は神のむすこ娘たちと共に働いて、障害を乗り越えさせ、敵に対して有利な立場を得る。神は真理を愛し戒めを守るご自分の民のために偉大な勝利を取り置かれている。」(同上5巻581)

4. 他の人が語ったことのない言葉 水曜日 4月23日
a. キリストが命の水に言及された結果、多くの人々はどのような結論に至りましたか。またそれはなぜですか(ヨハネによる福音書 7:40; (申命記 18:15と参照))。 b. そのような展望によって希望を吹き込まれた人々がいる一方、他の人々はどのように反応しましたか(ヨハネによる福音書 7:41–44)。 c. 下役たちは役人たちからどのような命令を受けていましたか(ヨハネによる福音書 7:45)。なぜ彼らはイエスを捕まえる気になれなかったのですか(ヨハネによる福音書 7:46)。 「祭の最後の日に、祭司たちと役人たちからつかわされた下役どもは、イエスを捕えないで帰ってきた。彼らは『なぜ、あの人を連れてこなかったのか』と腹立たしげにたずねられた。すると彼らは、厳粛な顔をして、『この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした』と答えた。彼らの心はかたくなだったが、イエスのみことばによってやわらげられたのであった。イエスが宮の庭で話しておられる間、彼らはそばをうろついていて、何かイエスに反対するきっかけをつかもうと待っていた。しかし聞いているうちに、彼らは自分たちがつかわされた目的を忘れた。彼らはわれを忘れた人間のように立っていた。キリストは、彼らの魂にご自分をお示しになった。彼らは祭司たちと役人たちが見ようとしないもの―神性の栄光に あふれている人性を見た。」(各時代の希望中巻243, 244)「〔キリスト〕は神聖な真理を例証するのに、彼らになじみ深い自然の事がらをお用いになった。心という土壌はこうして良い種を受け入れる準備がなされた。このお方はご自分の聴衆に、ご自分が彼らの関心と一つにしておられること、またこのお方の心は彼らの喜びや悲しみに共鳴して鼓動していることを感じるようにされた。同時に彼らはこのお方のうちに自分たちの最も尊敬しているラビがもっているものをはるかに越えた力と卓越さのあらわれを見た。キリストの教えは、単純、威厳、そしてこれまで彼らが知らなかった力が顕著であった。そして思わず叫んだのであった、『この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした』。民は喜んでこのお方の言葉を聞いた。しかし、祭司や役人たちは―真理の保管者としての信任に対して不忠実であって―表された恵みそのもののためにキリストを憎んだ。その恵みは彼らから群衆を引き話して命の光であるお方に従わせた。彼らの感化力を通して、ユダヤ国家はこのお方の神聖なご品性を見極めることに失敗し、贖い主を拒んだ。」 (教会への証5巻747)

5. まじめな探究者が成長する 木曜日 4月24日
a. 祭司長やパリサイ人は、どのように下役たちを譴責しましたか(ヨハネによる福音書 7:47–49)。 b. そのあとに続いたニコデモとの会話が、ヨハネ3章にあるキリストとの夜の会見以来、彼が成長したことを表していました。それを述べなさい(ヨハネによる福音書 7:50–52)。 「〔ニコデモ〕は真理を心にかくしていて、三年間は成果を見ることがなかった。しかしニコデモは、公に認めていなかったあいだも、サンヒドリンの協議会において、主を殺そうとしている祭司たちの陰謀には繰り返し反対していた。」(患難から栄光へ上巻108)「〔ヨハネ3章にある彼の夜の訪問で〕キリストがニコデモにお与えになった教訓はむだではなかった。確信が彼の思いをしっかりとらえ、その心の内にイエスを受け入れた。救い主との会見以来、彼は真剣に旧約聖書を探り調べ、福音の中に正しく置かれた真理を認めた。彼が尋ねた質問は賢明であり、会議を進行していた人々が敵に欺かれていなければ、それ自体説得力があった。しかし、彼らはあまりにも偏見に満たされていたため、ナザレのイエスに有利な議論はどんなに説得力があっても彼らに何の重みももたないのであった。ニコデモが受けた答えは、『あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤから預言者が出るものではないことが、わかるだろう』であった。祭司たちや役人たちは、サタンの意図した通りに、キリストがガリラヤから来たと信じるよう欺かれていた。このお方がベツレヘムでお生まれになったことを知っている人々は、偽りが力を失わないよう黙していた。」(SDAバイブル・コメンタリ[E・G・ホワイト・コメント]5巻1136)

個人的な復習問題 金曜日 4月25日
1. なぜイエスは人々の注意と尊敬を引き付けたのですか。 2. ユダヤ人の役人たちはイエスを止めようとして、どのように言い張りましたか。 3. イエスは祭の最後の日にどのような公の訴えをされましたか。 4. その結果として起こった大争闘を説明しなさい。 5. わたしが知っている人々を考えるときに、ニコデモについて何を覚えているべきですか。
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